鳴海城 のバックアップの現在との差分(No.10)
城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ |
赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120
鳴海城/ステータス※絆100%ボーナス込みの数値です。項目の「突破」はそのレベルに到達するのに必要な限界突破の回数を表しています。
ゲーム上の性能・評価
キャラクターボイスCV担当:高森奈津美
画像イラストレーター:英エイスト
改壱
城娘の元ネタ情報【デザイン】 【特技・計略】 鳴海天神(クリックで表示) 鳴海城跡公園の北に鎮座する成海神社の別名。 【セリフ】 穴子と鰻(クリックで表示) 伊勢湾・三河湾は全国の主要なマアナゴ漁場の一つで、旧尾張国の知多地区の漁獲量が特に多く、南知多町の豊浜(小型底びき網)と日間賀島(小型底びき網・アナゴかご)の2漁協で愛知県全体の3分の1以上を漁獲している。 それに対し旧三河国の西尾市一色町では明治時代から鰻の養殖が始められ全国有数の産地となっている。 穴子と鰻は同じウナギ目に分類され見た目が似ているが、色や模様、尾びれ、あごなどに違いがある。 穴子は薄茶色の身体をしており全体的に白い斑点模様があるのに対し、鰻は背中側が黒色に近い灰色で腹部は黄色みのある白色になっている。 穴子の尾びれ(尻尾)は尖っているのに対し、鰻の尾びれは丸みがある。 穴子は上あごが出ているのに対し、鰻は下あごが出ている。 穴子はあっさりした淡泊な味わいで酢の物や煮物が良く合い、甘ダレをつけて寿司にすることも多い。 鰻は脂が乗りこってりしていて蒲焼きにするのが一般的。 現実の城情報鳴海城(なるみじょう)は、天文~永禄期にかけて尾張の勝幡織田氏と駿河の今川氏の最前線となった城である。根古屋城とも呼ばれる。 鳴海城(なるみじょう)は、天文~永禄期にかけて尾張のと駿河の今川氏の最前線となった城である。根古屋城とも呼ばれる。 古くは現在の天白川と扇川の合流点付近から海が広がっており、鳴海城は海に面した丘陵に築かれた守りの城であった。 歴史は古いとされ、応永年間の14世紀末頃に安原宗範が当地にあった鳴海神社を移設の上築いたとされるが、この城は宗範の死後廃城になったと考えられている。 その後、16世紀に入り、勝幡織田信秀が当地の支配を固めると、三河との国境の守りを見据え再建したとみられ、笠寺の国人山口教継が城主となって入った。 その後、16世紀に入り、織田信秀が当地の支配を固めると、三河との国境の守りを見据え再建したとみられ、笠寺の国人山口教継が城主となって入った。 続きをクリックで表示 天文年間末期、勝幡織田氏において信秀が亡くなり信長がその跡を継ぐと、信長を見限った教継は息子教吉とともに今川氏に寝返り、さらには近隣の大高城や沓掛城も今川氏に寝返らせた。 天文年間末期、織田信秀が亡くなり信長がその跡を継ぐと、信長を見限った教継は息子教吉とともに今川氏に寝返り、さらには近隣の大高城や沓掛城も今川氏に寝返らせた。 しかし、間もなく教継・教吉は今川義元によって切腹に追い込まれ、かわって今川譜代の岡部元信が城主となった。これは義元が最前線の重要拠点を外様に任せるのを嫌ったためであるという。 この後鳴海城は織田と今川の最前線となりにらみ合いが続いたが、永禄2年(1559年)、織田信長は今川勢に圧力をかけるため、鳴海城の周囲に丹下砦や善照寺砦、中村砦を築いた。 城主岡部元信は頑強に抵抗し織田方の攻撃を跳ね返していたが、桶狭間の戦いによって今川義元が討たれると元信は義元の首級と引き換えに鳴海城を開城し、当地を去った。 その後は佐久間信盛・信栄親子が城主を務めた後に廃城となったとされているが、その時期には諸説あり、早いものでは天正3年(1575年)、遅いものでは天正18年(1590年)となっている。 城跡は現在の城跡公園を西端に、丘陵に沿って東に広がっていたと考えられている。
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