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雑学 のバックアップ(No.2)
いろいろな雑学を披露できる場です。 たとえば・・・ 疑問に答えてくれる人が現れることを期待して待ちましょう。 各城・各装備に関する個別的な雑学は城娘の個別ページでお願いします。 武具について
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| ▼ | 官位一覧 |
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平清盛は太政大臣になりましたが、3ヶ月で辞職しました。失脚したのではありません。当時すでに太政大臣の具体的な仕事はほとんどなくなっていて、「太政大臣になったことがある」ことが重要だったのです。ただし、当時すでに長男の平重盛が権大納言まで昇進していましたが。のちに豊臣秀吉は大名たちに官位を大盤振る舞いしたこともあって、差をつけるためか太政大臣に長いこととどまりました。
左大臣、右大臣、内大臣はこの序列で政府の頂点に立ち、重要会議を主催しました。会議のメンバーとなったのが大納言、中納言、参議といった人たちで、公家の家格は摂政・関白になれる家を筆頭に、大納言までなれる家など細かく決まっていました。その下には弁官、少納言(侍従が兼任)といった書類作りや儀式運営の実務者がついており、参議に昇進したり、昇進後も兼任したりして実務と政治家貴族たちを結びました。
近衛府は朝廷の警備・護衛を役目とする官衙で、左右の近衛大将は大納言や左大臣が兼任し、中将以下は参議以上へ出世する家の子弟が主に務めました。少し長官が格下で、御所内の区域と門を分担する左右の衛門府、兵衛府があり、武士の名前によくある「左衛門」「右衛門」といった呼称はここから来ています。
五畿七道とは日本の8つの地域の総称で区分けは以下のとおりです。
| 現在 | 国名 | |
| 畿内 | 近畿地方中部 | 山城・大和・河内・和泉(757年に河内から分離)・摂津 |
| 東海道 | 東海道地方及び関東地方(北部除く) | 伊勢・志摩・伊賀・尾張・三河・遠江・駿河・伊豆・相模・甲斐・武蔵・安房・上総・下総・常陸 |
| 東山道 | 中部地方中部及び東北地方 | 近江・美濃・飛騨・信濃・上野・下野・陸奥・出羽(712年に越後・陸奥から分離) |
| 北陸道 | 北陸地方 | 若狭・越前・加賀・能登・越中・越後・佐渡 |
| 山陽道 | 中国地方南部 | 播磨・美作・備前・備中・備後・安芸・周防・長門 |
| 山陰道 | 中国地方北部 | 丹波・丹後・但馬・因幡・伯耆・出雲・岩見・隠岐 |
| 南海道 | 四国地方 | 紀伊・淡路・讃岐・阿波・伊予・土佐 |
| 西海道 | 九州地方 | 豊前・豊後・筑前・筑後・肥前・肥後・日向・薩摩・大隅(713年日向から分離)・対馬・壱岐 |
また、明治2年には北海道が新設されて五畿八道となった。
| 現在 | 国名 |
| 北海道 | 渡島・後志・胆振・日高・石狩・天塩・北見・十勝・釧路・根室・千島 |
| ▼ | 長いので折りたたみ |
国をまたぐ都道府県は着色
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尾張国には8つの郡があり、織田信長の時代にはふたつの織田家が4郡ずつを支配していて、織田信長の家はその一方のそのまた家臣という立場でした。信長は親族と争って次々に倒し、尾張全体を支配するようになりますが、こうした「国-郡」は大宝律令などによって定められた統治の仕組み、つまり律令制の一部です。それ以前から「国」という言葉はあったのですが、国や郡の構成が律令によってルールとして決まり、以後長いこと変更されなかったので、令制国(律令国)と呼ばれています。よく国の数を「六十余州」と表現しますが、そのように境界が固定されたわけです。
郡の役人である郡司はそれぞれその地方に住んで世襲、国の役人である国司は中央から派遣というのが律令制度に基づく統治のコンセプトでした。もともと国司のもとに軍団があったのですが、中央からは源氏、平家と言った貴族系の武士団(武家貴族)があらわれ、国司の最高位者である守(ただし親王任国である常陸、上野、上総は守もあるが名目上親王が守を勤めているため実質介が最高位者であるが決して守がないわけではない)としていろいろな国に赴任し、地方の武士団と関係を結んで、武士が兵権を握るとともに、すっかり貴族から分かれてしまいました。
鎌倉幕府以降、幕府はそれぞれの国に国司とは別に武士から守護を任命し、戦国大名の中には守護やその下の守護代から興った家がたくさんあります。さすがに戦国期になってから国司が武力をたくわえて大名化した例は事実上ありませんが、飛騨の姉小路家は「代々国司をつとめた貴族の家系が武士に乗っ取られた」珍しい戦国大名です。
武家が団結して集団行為をすることです。(EUを想像するとわかりやすいかもしれません。)
勘違いされがちですが暴動を起こすことは一揆の中の土一揆であり、一揆=暴動ではありません。
農作業を放棄(ストライキ)して山へ逃げ込む農民もいます
有名なものは加賀一向一揆や長嶋一向一揆、毛利氏を中心とした安芸国人一揆があります。
その土地の作物の収穫量、生産性を「石」という単位で表したもので、現代でいうところのGDP(国内総生産)のようなものです。
この量が多ければ多いほど、その土地、国は豊かであるといえましょう。
たとえば、当時最大の穀倉地帯であった加賀国は「加賀百万石」と称せられ、豊臣五大老のひとり、前田利家が預かっていた国として有名です。
「殿下」という敬称は古代中国で諸侯(まだ周王朝が王号を独占していた頃の話)に使われた敬称で、のち皇太子などにも使うようになり、律令制度のもとでも一部の皇族に限られました。「殿」という敬称も当初は摂政・関白に限られていたと言いますから、「殿下」に準じた使われ方であったのでしょう。しかしどこの国でも敬称はインフレを起こすもので、「枕草子」にはすでに「大納言殿」「中納言殿」といった表現が見られます。
平安時代から、本来天皇を指す「御所様」という敬称が高位貴族に降りてきて、「公方(様)」も公権力を行使する側が広く用いるようになり、特に鎌倉幕府の(実権のない)将軍はこの敬称で呼ばれました。また、武家が「屋形(館)」を敬称として使うことも始まりました。
足利将軍家は自分も公方を称するとともに、「公方」「屋形」の敬称を一族や有力守護に認めました。家格を示す一種の称号となったわけです。「殿様」はそれらの下の敬称として広く使われました。「上様」も天皇などを指す言葉でしたが、徳川家康の家臣が日記の中で最盛期の織田信長を「上様」と表現しており、戦国時代には「殿様のその上の人」というニュアンスで使われることがあったようです。
本作の音響演出を担当。T's MUSIC所属。代表作は『戦国BASARA』シリーズ、『ダンボール戦機』シリーズなど。
本作のドット絵の一部(30キャラほど)を担当。代表作は『千年戦争アイギス』、『テイルズ オブ ハーツ』など。
』)出演(リンク先音量注意) 一乗谷城役。
PV内では逆真空手初段の腕前を披露した。アイドルグループ『仮面女子』のメンバー。
馬場城役。
連続テレビ小説『あまちゃん』、NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』、『ラブホの上野さん』などに出演。
鳥取城役。
『月の恋人〜Moon Lovers〜』などに出演。
仁木館役。
『最高の離婚 Special 2014』などに出演。
黒川城役。
『轟轟戦隊ボウケンジャー』、『侍戦隊シンケンジャー』、『特命戦隊ゴーバスターズ』などに出演。
クライマックスの敵役として出演した男性は中国拳法の大会で優勝経験あり。
その他、DMM.comラボの社員らが出演。
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