韮山城 のバックアップの現在との差分(No.7)
現実の城情報後北条氏五代百年の繁栄の礎を築いた伊勢宗瑞(北条早雲)が居城とし伊豆支配の拠点となった城で、箱根十城の一つ。 築城年代は明らかでないが、文明年間(1469~1486年)に堀越公方足利政知の家臣・外山豊前守が築いたとされ、政知の子・茶々丸が早雲に攻められ伊豆を追放されたのち、早雲は駿河の興国寺城から韮山城に居城を移し、伊豆を支配する中心として本格的な築城を行った。 築城年代は明らかでないが、文明年間(1469~1486年)に堀越公方足利政知の家臣・外山豊前守が築いたとされ、政知の子・茶々丸が早雲に攻められ伊豆を追放されたのち、早雲は駿河の興国寺城から韮山城に居城を移し、伊豆を支配する中心として本格的な築城を行った。 早雲は相模を制圧し武蔵南部にも進出したが、その生涯を終えるまで韮山城を居城とし、子の氏綱が当主となるとそれまで在城していた小田原城に居城が移され、後北条氏による関東支配の拠点となった。 続きをクリックで表示 小田原城に本拠が移ってからも韮山城は後北条氏の重要な支城として機能し、永禄末年には北条氏康の四男・氏規が城主となって伊豆支配の中心とした。 韮山城は本城が築かれた龍城山を中心に、後背の山の頂部に天ヶ岳砦を築き、そこから派生する尾根は堀切で遮断して山麓に4つの砦を配し、総合的に見ると厳重な造りの典型的な平山城である。
コメント |
Published by (C)DMMゲームズ
最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示