韮山城 のバックアップの現在との差分(No.3)


静岡県伊豆の国市にある龍城山に築かれた平山城。

現在は土塁等の跡が残ってる。

世界遺産に登録された韮山反射炉から少し北にある。

反射炉を作成した江川坦庵の江川邸の直ぐ側で、韮山(伊豆の国市)では、源頼朝と江川坦庵が押しが強いが、韮山城にはあまり関係ない。

韮山城を築いたのは、堀越公方足利政知の家臣、外山豊前守で、堀越公方足利政知の子の足利茶々丸を後北条氏の北条早雲(当時 伊勢宗瑞)が攻め勝利し足利茶々丸は伊豆を追放された。

沼津市にある興国寺城から伊豆を支配する中心として、韮山城を居城にして本格的な築城をした。

後北条氏は関東を支配すると小田原城に居城をうつすが、北条早雲の時代は韮山城が居城で北条氏綱の時代に小田原城に居城をうつしたと言われている。

豊臣秀吉の小田原攻めで、小田原城の支城として、約4万4100人の軍勢を約4000弱で10倍以上の軍勢を相手に3ヶ月持ちこたえた。

後北条氏滅亡後には、徳川家の譜代内藤信成が城主になり、関ヶ原の戦いで4万石に加増され駿府城を与えられると廃城となった。

現実の城情報 Edit


後北条氏五代百年の繁栄の礎を築いた伊勢宗瑞(北条早雲)が居城とし伊豆支配の拠点となった城で、箱根十城の一つ。

築城年代は明らかでないが、文明年間(1469~1486年)に堀越公方足利政知の家臣・外山豊前守が築いたとされ、政知の子・茶々丸が早雲に攻められ伊豆を追放されたのち、早雲は駿河の興国寺城から韮山城に居城を移し、伊豆を支配する中心として本格的な築城を行った。

早雲は相模を制圧し武蔵南部にも進出したが、その生涯を終えるまで韮山城を居城とし、子の氏綱が当主となるとそれまで在城していた小田原城に居城が移され、後北条氏による関東支配の拠点となった。


後背の山の頂部に天ヶ岳砦を築き、そこから派生する尾根は堀切で遮断して山麓に4つの砦を配し、総合的に見ると厳重な造りである。

韮山城は常時の居城と山麓の砦としての役割があり、天ヶ岳を利用して各砦への移動を図る構造だったと思われる。

往時は周囲の田園も湿地帯だった可能性があり、大軍の展開はしにくかっただろう。
所在地静岡県伊豆の国市韮山
現存状態堀、土塁など
城郭構造平山城

コメント Edit

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示

  • ちなみに北条早雲が伊豆地方平定の根城として使っていた事で有名な城です。実装される際は龍城で出して欲しいな。だってそっちの方がかっこいいし! -- 2017-03-29 (水) 23:11:19
    • 編集者さん? -- 2017-03-30 (木) 00:24:40
  • 韮山城、跡地のほぼすべてを江川家の所有とされたこともあるし、江川英龍に関するモチーフもあったらいいなぁ、実装まだだろうか -- 2019-08-14 (水) 14:07:42
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