玉縄城 のバックアップ(No.7)
現実の城情報
後北条氏の本城・小田原城の重要な支城で、「地黄八幡」として知られ北条五色備の黄備を率いた北条綱成が属する、後北条氏家臣団のなかでも特に大きな勢力を有した玉縄衆の本拠地。 続きをクリックで表示 永正9年(1512年)、北条早雲は相模三浦氏の岡崎城を落として三浦半島に追いやり、武蔵の扇谷上杉氏と三浦氏の連絡を断つために玉縄城を整備したとされる。同13年(1516年)には三浦義同救援に向かう扇谷上杉朝興を撃破し、三崎城の義同を自刃に追い込んだ。 小田原征伐の際には玉縄城主の北条氏勝は山中城へ援将として入ったが、山中城は豊臣方の猛攻によって落城、氏勝は城から逃されたのちに玉縄城まで退いて籠城したが、徳川軍に包囲されて降伏した。
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