足柄城 のバックアップ(No.5)
現実の城情報
駿河・相模の境に位置し坂東への入口にあたる足柄峠に築かれ、峠の頂上を中心に多数の砦を構え大城塞群を形成する要害で、箱根十城の一つに数えられる。 続きをクリックで表示 対武田氏の最前線だった駿東郡の深沢城が武田氏に奪われると足柄城の重要性はますます高まり、深沢城から退去した玉縄城主の北条綱成が一時在城し、その後小机城の小机衆の一部が在城し度々改修が行われた。 後北条氏と豊臣秀吉が対立するようになると小田原城の西側にある足柄城は天正15年(1587年)頃から北条氏光を城番として改修整備された。 秀吉が後北条氏家臣で沼田城代の猪俣邦憲による名胡桃城占拠を惣無事令違反とし対立が深刻化すると、天正18年(1590年)に小田原征伐が行われ、足柄城には城将として北条氏忠が入り、山中城と共に小田原城を守る役割を期待されたが、山中城が落城すると氏忠は小田原城に退却し、足柄城は井伊直政率いる豊臣方の大軍によって落城した。
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