雷山神籠石 のバックアップの現在との差分(No.5)
現実の城情報雷山・飯原間の山中に築かれた神籠石式山城で、朝倉宮もしくは大宰府を防衛する目的で築かれたとされる説が有力である。(神籠石式山城の詳細は御所ヶ谷神籠石を参考にしてほしい)
伊覩県主の旧城廃墟説(クリックで表示) 伊覩県主の旧城廃墟説もう一つ興味深いものとして、雷山神籠石を「伊覩県主の古い居城である」とする説が存在する。 見解をまとめると以下のとおりである。 伊覩県主の子孫であると称する代準介翁の自叙伝『牟田の落穂』には下記の記述が確認できる。 「遠キ祖先ハ伊覩県主ニシテ、其居城ハ雷山中腹ニアリ、神籠石ヲ囲ラシタル筒井原ナリ(以下略)」。 伊覩県主の子孫であると称する代準介翁の自叙伝『牟田の落穂』には上記の記述が確認できる。 その版築土塁と列石・門礎石の要素から列記とした城郭であることは否定しようがないため、水火雷神・神功皇后に結び付けた霊域説はまず崩れる。 筒城を古代山城と見れば貝原益軒の怡土城址説は瓦解するうえに、大陸式城郭の怡土城と形式も築城年代も大きく異なっているのでこの説はない。 そうすると残るは伊覩県主の旧居城説となる。丸山氏は以上のように雷山神籠石を伊覩県主の居城と提唱、霊域説・怡土城址説ともども婉曲に否定したのであった。 コメント |
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