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怡土城
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現実の城情報 Edit

怡土城(いとじょう/いとのき)は天平勝宝8年(756年)から約12年の歳月を費やし築かれた大和朝廷の城であり、大野城と同様に外敵から大宰府を守るための防衛施設である。
天平宝字3年(759年)に始まる新羅征討計画に先駆け、遣新羅大使や遣渤海大使を務めた小野田守も関与し、吉備真備・佐伯今毛人によって築城が進められた。
標高416メートルの高祖山の山頂から麓にかけて手が加えられ、西麓には8キロメートルにおよぶ土塁、石塁を巡らせ、南と東はそれぞれ谷や稜線を利用した。
北には尾根上に五か所の望楼を配置している。城域内に広い平地をもつため山頂からの眺めは素晴らしく、日本有数の古代山城と言える。
7世紀後半に築かれた古代山城(朝鮮式山城)とは構造が大きく異なっており、山頂部から平地部にかけて西斜面一帯を広く囲い込むような構造は中国式山城と言われる。

所在地福岡県糸島市高祖
現存状態土塁、石塁、門礎石、望楼跡、水門跡
城郭構造古代山城(中国式山城)

コメント Edit

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示

  • こういう古い時代の御城の実装待ってるんだけどなー・・・。 -- 2017-06-06 (火) 10:19:33
    • どんどん古い城のページ書いて宣伝しよう -- 2017-06-06 (火) 10:24:50
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