公方様御構 のバックアップの現在との差分(No.1)
現実の城情報歴史上二条城と呼ばれる城は5つあり、公方様御構はその2番目の城として織田信長が築き、将軍足利義昭の居城となった。 続きをクリックで表示 築城には尾張・美濃・三河・近江・伊勢・若狭・丹後・丹波・播磨、そして畿内五ヶ国の計14ヶ国から動員され、信長自らが普請総奉行となり、大工奉行に村井貞勝・島田秀満を任じた。 築城工事は約70日間という短期間で終わり、完成した城は「公方様御構」と呼ばれ、同年4月16日に義昭が入城した。 信長に擁立されて将軍となった義昭だったが次第に信長との関係は悪化し、信長の敵対勢力に御内書を下すなど反信長勢力の結集を図るようになった。 同年7月、義昭は勅命を破って再挙兵し槇島城に立て籠もったが、信長の大軍に包囲され降伏した。 同年7月、義昭は勅命を破って再挙兵し槇島城に立て籠もったが、信長の大軍に包囲され降伏した。 信長は義昭を京から追放し、『言継卿記』によるとこの時公方様御構は廃城となり、最終的には天正4年(1573年)に堀が埋められ、建築物は解体され安土城に転用された。
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