関宿城 のバックアップの現在との差分(No.3)

現実の城情報 Edit


康正元年(1455年)に代々足利氏の家臣で足利成氏の代に大出世したらしい簗田氏が、持助の代に水陸交通の要衝であるこの地に築いたとされる。

その重要性は北条氏康が2度にわたる失敗の末にこの城を手に入れた際、「一国を取ったに等しい」と瑞雲院宛の書状に記したことからも窺える。

天正18年(1590年)の小田原征伐後は徳川家康の家臣松平康元が入り、関宿藩を立藩した。

以後小笠原氏、板倉氏、牧野氏、久世氏と城主が代わっていったが、いずれも老中など幕府における重鎮となったため、関宿城は浜松城と同じく出世城と称された。

関東の覇者となった北条氏康をして「この地を抑えるということは、一国を獲得することに等しい」と言わしめた要衝。

築城年代には諸説あるが、代々鎌倉公方足利氏の家臣で足利成氏の代に重臣筆頭となった簗田氏が、長禄元年(1457年)に成助の代で築いたという説が有力。

水運の要衝を押さえる城として利根川と逆川が分岐する地に築かれ、主郭部は北と西は川、東と南は巨大な水堀で防御され、主郭部と城下を取り囲む土塁の周囲にも水堀や沼が巡る、水を最大限に利用した城だった。

所在地千葉県野田市関宿三軒家
現存状態土塁、移築門など
城郭構造平城

コメント Edit

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を表示

  • 武士団というのがよくわからんのだけど?簗田氏は代々足利家の家臣で足利成氏の代に大出世したらしい・・・。 -- 2017-01-02 (月) 15:52:41
  • 地味だが堅城として籠城戦好きの中では有名な城。
    北条が手に入れたと書かれているが2回籠城戦で失敗している。 -- 2017-01-10 (火) 18:33:24
  • 今ある博物館としての関宿城は江戸城モチーフで作られて、本来の城跡は少し離れたところにある。川がすぐ近くにあるのと、展示内容から城の歴史は洪水の歴史に近い印象を抱くよ -- 2017-03-24 (金) 15:50:04
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