聖寿寺館 のバックアップの現在との差分(No.5)
現実の城情報聖寿寺館は青森県三戸郡南部町小向字聖寿寺にあった平山城で、別称は「本三戸城」。馬淵川と奥州街道が交差する水陸交通の要衝であり、南部氏にとって戦略的な重要拠点だった。 続きをクリックで表示 聖寿寺館は馬淵川へと流れ込む猿辺川と、猿辺川へと流れ込む鱒沢の左岸に築かれ、館の西側は天然の断崖によって守られた。北側と東側は幅10~20メートルの巨大な空堀によって台地から切り離された。 また大型掘立柱建物跡からは東北地方では初となる金箔土器も出土しているが、金箔土器は全国的にも類例が少なく、後北条氏の八王子城、毛利氏の吉田郡山城、大内氏の大内氏館、大友氏の大内氏館など、室町時代から戦国時代にかけての大大名の居館等でしか出土していない。 また大型掘立柱建物跡からは東北地方では初となる金箔土器も出土しているが、金箔土器は全国的にも類例が少なく、後北条氏の八王子城、毛利氏の吉田郡山城、大内氏の大内氏館、大友氏の大友氏館など、室町時代から戦国時代にかけての大大名の居館等でしか出土していない。 居館としては技巧的な構造は見当たらず、周辺に屋敷が散在しつつ全体として一つにまとまるような、根城や浪岡城のような群郭式の居館だったと考えられる。 聖寿寺館からは南に川を挟んで馬場館、西に小向館、東に佐藤館と平良ヶ崎城があり、これらが連携して守りを固めていたとも考えられ、これらの城館の全てを含めて本三戸城と見る向きもある。 平成30年(2018年)10月2日、聖寿寺館から「犬形土製品」と呼ばれる犬の土人形が見つかり、これまで各地の有力大名の屋敷跡などから見つかっていたが、聖寿寺館での発見はその最北端となる。 これは近畿地方の有力者から贈られたものとみられ、南部氏の権威や交流を物語る貴重な資料だという。 南部町によると、大きさは高さ3.5センチメートル、全長6.6センチメートルで、16世紀前半に近畿地方の職人が手作りし、当主の妻などに向けた安産祈願のお守りと推測され、文献で記述されることが少ない戦国時代の女性の暮らしを考える上でも、手掛かりになるとしている。
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