縣延岡城 のバックアップ(No.1)
現実の城情報江戸時代を通じて縣藩(のちの延岡藩)の藩庁となった城で、「縣城」「亀井城」とも呼ばれる。 続きをクリックで表示 慶長18年(1613年)、元種は幕府によって改易された。津和野藩主坂崎直盛と津藩主富田信高との対立に巻き込まれ、津和野藩から出奔し信高に匿われていた水間勘兵衛(宇喜多左門)を元種が匿い、これを直盛が幕府に告発したことによって所領没収となったのだった。 元種は陸奥棚倉藩の立花宗茂の預かりとなり、翌慶長19年(1614年)に肥前日野江藩から有馬直純が縣城に入った。 その後は三浦氏、牧野氏を経て延享4年(1747年)に陸奥磐城平藩から内藤政樹が入り、以後内藤氏は全て養子による相続で8代124年間にわたって藩主を務め、その間延岡城は大きな変化を加えられることなく明治維新に至った。
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