刈谷城 のバックアップ(No.1)
現実の城情報水野勝成や水野忠邦を出した、徳川将軍家との縁も深い水野氏の居城。水野氏は『寛政重修諸家譜』によると清和源氏の一族で、源経基の次男・満政を祖とし、7代浦野重房の時に尾張知多郡阿久比郷小河に移住して小河氏を名乗り、その子重清が水野氏を名乗ったという。 続きをクリックで表示 天正3年(1575年)、信元は武田勝頼への内通を信長に疑われて殺害され、水野氏は一時断絶した。刈谷城は信長の家臣である佐久間信盛に与えられたが、信元の内通を讒言したのがこの信盛だったともされる。 刈谷城は三河最西部、逢妻川河口の三河湾の入江である衣ヶ浦に突き出た台地上に築かれ、衣ヶ浦に面して本丸が置かれた。本丸の周囲には細長い小規模な帯曲輪がめぐり、本丸を守っていた。
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