コルヴィネシティロル城 のバックアップの現在との差分(No.5)
現実の城情報イベント「第三回名城番付」にてフニャド城として言及された城。シュテファンによると吸血鬼アイドルらしい。 ワラキアのヴラド・ツェペシュ、アルバニアのスカンデルベグ、モルドヴァのシュテファン大公とともにオスマン帝国のバルカン半島侵攻を度々撃退し、ハンガリーの国民的英雄と称えられるフニャディ・ヤーノシュの居城で、フニャド城ともいう。 14世紀初頭にハンガリー王カーロイ1世が築いた城を、1446年にハンガリー王国の摂政となったフニャディ・ヤーノシュが改修し、自身の居城とした。チェルナ川の支流沿いにある岩山に築かれ、多数の城塔や二重の城壁に守られた、東欧最大級の城だった。 ハンガリーの貴族でありつつトランシルヴァニア公でもあったフニャディ・ヤーノシュはワラキアやモルドヴァへの影響力も強く、一時ワラキアから亡命していたヴラド・ツェペシュはフニャディ・ヤーノシュの支援でワラキア公に復帰している。 フニャディ・ヤーノシュは、1453年にコンスタンティノープルを攻略しバルカン半島への侵攻を本格化させたオスマン帝国のスルタン・メフメト2世をベオグラードのカレメグダン城で破り、「キリスト教世界の守護者」としての名声を確固たるものとしたが、その直後に病死しコルヴィネシティロル城はその重要性を失っていった。 続きをクリックで表示 その後コルヴィネシティロル城は牢獄として使われることもあり、フニャディ・ヤーノシュの次男でハンガリー王国の最盛期を築いたマーチャーシュ1世はヴラド・ツェペシュを捕らえ、1462年から7年間コルヴィネシティロル城に幽閉した。
コメント |
Published by (C)DMMゲームズ
最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示