洲本城 のバックアップ(No.2)
現実の城情報登り石垣で山上と山麓の城が一体となった、淡路島支配および大坂湾・播磨灘の制海権掌握の拠点となった城。 続きをクリックで表示 洲本城は標高133メートルの三熊山の山頂に築かれた「上の城」と、山麓の居館である「下の城」に分かれていたが、安治は文禄・慶長の役で得た経験から、朝鮮半島の倭城で多用された登り石垣によって「上の城」と「下の城」を一体化させた。 安治は関ヶ原の戦いで東軍に内応して所領を安堵され、引き続き洲本城の改修を進めたが、慶長14年(1609年)に伊予大洲へと転封となり、洲本城は藤堂高虎が預かり改修は中断された。 由良城は交通の便が悪く政務をとるのに不向きだったため、示稙は寛永8年(1631年)から4年がかりで洲本城へと移転した。
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