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花巻城 のバックアップ(No.4)
現実の城情報
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| 所在地 | 岩手県花巻市花城町 |
| 現存状態 | 堀、土塁など |
| 城郭構造 | 梯郭式平山城 |
城郭構造(クリックで表示)
花巻城は北上川西岸、奥羽山脈から東に伸びる台地上に築かれ、北側と東側は瀬川による侵食崖に守られ、南側と西側には広大な水堀を設け、本丸・二の丸・三の丸は土塁と水堀が囲んでいた。
本丸は城の北東隅に位置し、稗貫氏の鳥谷ヶ崎城時代には瑞興寺があったと伝えられる。規模は東西162メートル、南北62メートルの不整形で、南辺と西辺には土塁が巡り、南西隅には天守に相当する櫓が置かれた。
西側の二の丸早坂門との間には馬出曲輪があり、江戸時代には長屋があった。西御門が本丸の正門で、内枡形を構成し野面積みの石垣で固められた。西の馬出から両石垣の土橋を渡って枡形を右に曲がって櫓門に入るようになっており、平成5年(1993年)に木造で西御門と土塀が復元された。
本丸の南辺中央にはクランク状に曲がる石垣の内枡形があり、台所門が置かれていた。枡形の東西には櫓台があり、西の櫓台には蔵があった。また本丸東の突端には菱櫓があった。
二の丸は本丸を西から南に囲む曲輪で、三の丸の鳥谷ヶ崎とは沢を利用した堀で区画される。また二の丸の中央は南北方向に延びる堀で東西に二分され、東側には御蔵と東門、西側には郡代屋敷と稽古場があり、南側の三の丸との間の堀はクランク状に曲がり、中の門があった。
二の丸から三の丸西側は幅35~50メートル、深さ10メートル以上の巨大な堀で区画され、堀に面した部分には幅15メートル、高さ4メートルの土塁が築かれた。
三の丸は二の丸の南側から南東の鳥谷ヶ崎におよび、稗貫氏の鳥谷ヶ崎城時代には円城寺があったという。政直が花巻城主となった際には和賀郡の二子城から大手門がここに移築され、円城寺門として用いられた。
城全体を見ると、三の丸西側の追手門に対し三の丸南側の円城寺門は搦手門とされるが、縄張を考えると円城寺坂下の虎口が大手門に相応しい構造となっており、搦手は二の丸の早坂門であったとも思われる。
奥州仕置後に入った浅野氏による改修で本丸と馬出、円城寺坂下の虎口が造られたとされ、また二の丸亀御堀から鍵御堀、薬研堀は北信愛によって造られたと伝わる。
このように花巻城は稗貫氏時代の鳥谷ヶ崎城を基盤とし、奥州仕置後の浅野氏、その後の北秀愛・信愛、南部政直の時代にかけて整備され、以後盛岡藩時代を通じて和賀郡・稗貫郡の当地拠点として存続したのである。
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