Top > 鳥谷ヶ崎城

鳥谷ヶ崎城
HTML ConvertTime 0.098 sec.

現実の城情報 Edit

鎌倉時代から陸奥稗貫郡を支配した稗貫氏の室町時代から戦国時代にかけての本城で、鳥谷ヶ崎の地名は城の南東隅が北上川と豊沢川に向かって大きく突出する地形に由来するとされる。
稗貫氏は武蔵の中条氏の一族とされ、源頼朝が奥州藤原氏を征伐した奥州合戦での軍功によって稗貫郡を与えられたという。
稗貫氏の当主は代々出羽守を名乗り、建長8年(1256年)6月2日に奥大道沿いの夜討、強盗の取り締まりを命じられた郡地頭には、和賀氏とともに出羽四郎左衛門尉(稗貫光家)の名が『吾妻鏡』に記されている。
南北朝時代の動乱では稗貫氏は北朝方として活動し、北畠氏や南部氏と戦った。当初は小瀬川を本拠としていたが、後に本館に移り、室町時代には十八ヶ城に移っていた。
永享7年(1434年)から翌年にかけて起こった和賀・稗貫の乱の際、稗貫氏は十八ヶ城に籠城したが、斯波氏や南部氏などの軍勢と戦い敗れている。この時、鳥谷ヶ崎城には薄衣美濃が在城していた。


所在地岩手県花巻市花城町
現存状態堀、土塁など
城郭構造平山城

コメント Edit

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示

  • 嬉しいものを読ませていただきました。
    (亡母)に屋号は鳥谷ケ崎と聞いています。毛越寺壇信徒 -- 稗貫 利彦? 2019-12-31 (火) 13:35:39
お名前:

  URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White


ホーム リロード   新規 下位ページ作成 コピー 編集 添付 一覧 最終更新 差分 バックアップ 検索   凍結 名前変更     最終更新のRSS