|
大友氏館 のバックアップ(No.3)
現実の城情報
|
| 所在地 | 大分県大分市顕徳町 |
| 現存状態 | 発掘調査・史跡整備中 今後復元予定 |
| 城郭構造 | 守護館 |
二階崩れの変(続きをクリックで表示)
天文19年(1550年)2月、20代当主・大友義鑑の家臣によって義鑑の三男塩市丸とその母が殺され、義鑑自身も重傷を負って数日後に没した事件。
義鑑が嫡男義鎮を廃して塩市丸を嫡男にしようとして義鎮派の家臣の粛清を計画したが、それが漏れて逆襲を受けたものとされる。
この事件の結果義鎮が家督を継いで当主となった。いわば戦国大名大友宗麟を生む契機となった事件である。
事件に義鎮がどの程度関わっていたかについては、まったく無関係で家臣の暴走だったとする説から義鎮の指示で起きた説まで諸説ある。
居館の二階で就寝中の義鑑を襲撃したことからこの名で呼ばれているが、この居館が大友氏館と上原館のいずれかは定かではない。
Published by (C)DMMゲームズ
コメントはありません。 Comments/大友氏館?