ルーマニアの中央南部、トランシルヴァニア・カルパチア山脈のアルジェシュ渓谷に築かれた標高2033メートルの地にある城館。 ヴラド・ツェペシュことワラキア公ヴラド3世はドラキュラ公とも串刺し公ともあだ名されるが、「ドラキュラ城」の異名を持つブラン城は祖父ミルチャ老公の居城であり、実際にヴラド3世が居城したポエナリ城こそが真のドラキュラ城であるという意見がある。 13世紀にワラキアの最初の統治者によって築かれ、14世紀頃にはバサラブ公国統治者に取って代わられたが、数十年後に打ち捨てられると荒廃し、15世紀になるとヴラド3世が大修築を行い、居城とした。 ヴラド3世はオスマン帝国の支援を受けた弟のラドゥにより追い落とされポエナリ城を奪われ、絶望したヴラド3世の最初の妻がポエナリ城の塔から投身自殺した。 ヴラド3世もハンガリー王マーチャーシュ1世による12年間におよぶ幽閉から釈放されたのちの1476年に戦死、あるいは暗殺されると、オスマン帝国軍により首を切られて塩漬けにされ、コンスタンティノープルのオスマン帝国スルタン・メフメト2世のもとに届けられ、トプカプ宮殿の前に晒されたというが、その後もヴラド3世の彷徨う姿を見たと主張する人々がいたと伝わる。
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ヴラド3世が亡くなったあとも数十年間は利用されていたが、15世紀前半には再び無人の城となり、1888年には土砂災害により城の一部がアルジェシュ川に崩れ落ちるも、すぐに修復された。 現在もその城壁と塔が残るが、熊4頭の目撃報告があり立ち入り禁止になったと2017年6月に日本でも報道された。近況については今後の報道等を確認して頂きたいが、いずれにせよ頂上に至るまでには1480段の石段を登る必要がある。
BBC(イギリス国営放送)とスターズ(アメリカの有料ケーブルチャンネル)が共同で製作したテレビドラマ『ダ・ヴィンチの悪魔』で、レオナルド・ダ・ヴィンチがヴラド3世に会うためポエナリ城まで旅するというエピソードが描かれると有名になったが、このエピソードの真偽は不明である。
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