駿河・相模の境に位置し坂東への入口にあたる足柄峠に築かれ、峠の頂上を中心に多数の砦を構え大城塞群を形成する要害。 築城時期は不明で大森氏によって築かれたとされるが、文献上では永禄12年(1569年)2月に初めて見られる。この年、甲斐の武田信玄が駿河国駿東郡に侵攻し、北条氏は足柄城を改修して武田氏に対抗する拠点とした。 駿東郡の深沢城が武田氏に奪われると足柄城の重要性はますます高まり、度々改修が行われた。武田氏滅亡後は対豊臣秀吉戦を想定して改修され、城掟を定めて統制を強化した。 城掟は戦国時代の城の実態を明らかにする貴重な史料で、足柄城は境目の城であるため草木の扱いにも他領と揉め事が起こらないよう注意を払う条文があり、またトイレに関する条文は非常に珍しいものとなっている。 天正18年(1590年)の小田原征伐では山中城と共に小田原城を守る役割を期待されたが、豊臣方の大軍によって落城した。
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