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松山城 のバックアップ(No.2)
城娘全体像の抽出画像を編集者が主観で300×415pxに縮小し、「城名S.png」で添付する。
赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120
ゲーム上の性能・評価
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イラストレーター:
入手画像サイズは、できれば1275×720でお願いします
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愛媛県松山市にある現存12天守の一つで伊予松山城とも呼ばれる。
勝山山頂に本丸を置き、麓に二の丸、三の丸を置いた三大連立式平山城の一つでもある。
なお連立式とは天守の形態の一つであり、縄張りは連郭式である。
賤ヶ岳の七本槍の一人で沈勇の士と評された加藤嘉明が関ヶ原の戦いの戦功により伊予を得て築城を開始した。
松山という地名の名付け親も嘉明である。のちに、蒲生氏郷の孫・忠知が入城した。
その後、松平定行が居城とし、五重の天守は三重に改築された。以後、松平氏の居城として明治まで残ったが、幾度も火災に見舞われた。
天守も一度火災により失われており、現存する天守は安政元年(1854年)に再建された三重のものである。
天守の瓦には松平家の家紋である「葵の御紋」が刻まれている。彦根城や洲本城などでしか見られない登り石垣も現存。
昭和41年(1966年)からの大規模な復元工事および平成16年(2004年)から平成18年(2006年)の「平成の大改修」を経て現在に至る。
| 所在地 | 愛媛県松山市丸之内1 |
| 現存状態 | 天守、櫓、門、塀、井戸、石垣、土塁、堀 |
| 城郭構造 | 連郭式平山城 |
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