御城プロジェクトRE 城プロRE 攻略 Wiki
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> 大宰府
大宰府
の編集
***政庁機能を超えて [#qe2263f7] 大宰府は古代律令制における地方官衙((因みに「衙」の意味と漢字は古来中国から来た言葉であるが、本来地方行政ではなく、もともと「官邸」の意味であったとされる。『新唐書』(単に『唐書』ともいう)にも「天子の居、衙と曰う」と確かに記載が残っている。))の代表格として[[多賀城]]と並び、中央政府の権威を保つための出先機関である。国防能力を期待され何度も増築・改修された。 こうした出先機関は国衙のほか、郡衙(ぐんが)、関塞(せきそこ)、駅家(うまや)、営所などが存在する。 さらに、国衙の機関を中心に形成された政治・軍事都市を「国府」といい、多賀城ならびに大宰府は他の地方官衙よりも国府としての軍事性が突出した存在であった。 北の多賀城が蝦夷地経営を主とし、他方の大宰府は西の守り、大陸・半島との外交を任されていたことからもその特殊さが際立つ。 }} #br #style(class=submenuheader){{ &color(White,Maroon){各期城郭構造(クリックで表示)}; }} #style(class=submenu){{
#include(城娘項目,notitle); #include(城娘ステータス注釈,notitle) |CENTER:300|BGCOLOR(#FCC):80|BGCOLOR(#FCC):90|BGCOLOR(#FCC):80|BGCOLOR(#FCC):90|c |>|>|>|>|BGCOLOR(#f99):CENTER:''大宰府(だざいふ)''| |&attachref(./大宰府S.png,nolink);|>|BGCOLOR(#111):CENTER:&ref(画像で一覧RE/大宰府.png,nolink);|図鑑No.|363| |~|>|~|レア|7| |~|>|~|城属性|&ref(画像置場/平.png,nolink);| |~|>|~|令制国|筑前| |~|>|~|武器属性|[[祓串]]| |~|>|~|最大レベル|120| |~|実装日|>|>|2019年06月25日| |~|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''合戦''| |~|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''初期配置/&color(Red){最大値};''|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''巨大化5回/&color(Red){最大値};''| |~|消費気|11|消費気((基本消費気を含みます))|127| |~|耐久|1123/&color(Red){_};|耐久|2358/&color(Red){_};| |~|攻撃|108/&color(Red){_};|攻撃|205/&color(Red){_};| |~|防御|42/&color(Red){_};|防御|88/&color(Red){_};| |~|射程|280/&color(Red){_};|射程|504/&color(Red){_};| |~|回復|10/&color(Red){_};|回復|16/&color(Red){_};| // |>|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''[[特技]]''| |BGCOLOR(#FCC):[無印] /おほみこともち |>|>|>|自身の攻撃が30%上昇&br;射程内の城娘の被ダメージを30%軽減&br;全ての[大宰府と古代山城]の与ダメージが20%上昇| |BGCOLOR(#FCC):[&color(Red){改壱};] / おほみこともちのかみ|>|>|>|自身の攻撃が35%上昇。攻撃した敵の攻撃速度が&br;4秒間35%低下。射程内城娘の被ダメを35%軽減&br;全ての[大宰府と古代山城]の与ダメが25%上昇| |BGCOLOR(#FCC):''[&color(Red){改弐};] / おほみこともちのつかさ''|>|>|>|自身が攻撃した敵の攻撃と攻撃速度が4秒間40%低下&br;射程内城娘の攻撃が40%上昇、被ダメを40%軽減&br;全ての[大宰府と古代山城]の与ダメージが1.5倍| |>|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''[[計略]]''| |BGCOLOR(#FCC):[無印] / 防人歌&br;(使用まで45秒:消費気5)|>|>|>|20秒間対象が射程内の全ての城娘に回復を行い&br;射程内の全ての敵に攻撃を行う(祓串城娘が対象)| |BGCOLOR(#FCC):[&color(Red){改壱};] / 遠の朝廷&br;(使用まで45秒:消費気5)|>|>|>|30秒間対象の射程が100上昇、射程内の全ての城娘に&br;回復を行い射程内の全ての敵に攻撃を行う&br;対象の射程内の城娘の防御が1.5倍(祓串城娘が対象)| |BGCOLOR(#FCC):''[&color(Red){改弐};] / 大君の遠の朝廷''&br;(使用まで45秒:消費気5)|>|>|>|30秒間対象の射程が150上昇、2連続で射程内の&br;全ての城娘と敵に攻撃と回復を行う&br;対象の射程内の城娘の防御が1.7倍(祓串城娘が対象)| // |>|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''図鑑文章''| |>|>|>|>|妾こと大宰府は、平城京や平安京と同じく、&br;条坊制を布き、自然の山河や水城、大野城、&br;基肄城らに護られたちょーいかした&br;防衛都市であり、しゃれおつな風水思想に&br;のっとって築かれた城娘でもあるのじゃ。&br;しかも、中心部には政庁の建物が並び立ち、&br;千人を超える官人が働いていたことも言われて&br;おるのじゃ。斯様なまでにごいすーな城娘が&br;仲間となってやったのじゃ。大事にせんと&br;承知せぬからなぁ?&br;そちはちょー幸せものじゃのぉ。| |BGCOLOR(#F99):CENTER:120|400|c |''[[築城]]''|05:00:00| |''神社''|&color(Red){''[[招城儀式]]''};| //#style(class=submenuheader){{ //-''[[城娘改築]]'' //}} //#style(class=submenu){{ // //}} //#table_edit2(td_edit=edit,tr_edit=edit,table_mod=open,calc=1,form=text=|text=|select=_1_2_3_4_5_6_7_8|select=_3_4_5|select=_1_2_3_4_5_6_7_8_9_10_11_12_13_14_15_16_17_18_19_20|select=_34-5_45-5_57-5_42-6_55-6_70-6_48-7_63-7_80-7_56-8_73-8_93-8_63-9_82-9_104-9_71-10_93-10_118-10_76-11_100-11_127-11_84-12_110-12_140-12_91-13_119-13_151-13_98-14_128-14_163-14_105-15_138-15_175-15_113-16_148-16_188-16,){{ //|>|SIZE(13):|>|>|>|>|SIZE(10):|>|>|>|>|>|>|>|>|>|SIZE(13):|c //| | |~レア|~[[&color(White){巨大&br;化数};>巨大化・属性#l379325e]]|>|>|~&size(12){[[&color(White){消費気};>巨大化・属性#i31da6d1]]};|>|>|>|>|~''初期配置''|>|>|>|>|~''巨大化''|h //|~|~|~|~|~[[&color(White){基本};>巨大化・属性#ubbc4e49]]|~[[&color(White){強化};>巨大化・属性#u2b9a394]]|~&color(White){合計};|~耐久|~攻撃|~防御|~射程|~回復|~耐久|~攻撃|~防御|~射程|~回復|h //|>|BGCOLOR(#ccc):CENTER:50|>|BGCOLOR(#ddd):CENTER:30|>|>|CENTER:30|BGCOLOR(#ffe):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#fef):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#eff):CENTER:SIZE(10):60|>|BGCOLOR(#fff):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#ffe):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#fef):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#eff):CENTER:SIZE(10):60|>|BGCOLOR(#fff):CENTER:SIZE(10):60|c //|>|無印|||||@cell_ra(0,1)+@cell_ra(0,2)|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|10/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};| //|>|改壱|||||@cell_ra(0,1)+@cell_ra(0,2)|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|10/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};| //}} #style(class=submenuheader){{ -''ステータス一覧(クリックで展開)'' }} #style(class=submenu){{ //--[[テンプレート/城娘/ステータス表]]より、城娘ステータス用のページをテンプレートから作成し、ここにincludeしてください。&br; #include(大宰府/ステータス,notitle) }} #br *ゲーム上の性能・評価 [#evaluation] -概要 [[祓串>ステータス一覧/祓串]]初の★7となる城娘、属性が単体で平城なのも初めて。 全体的に特技の被ダメージ軽減と計略により特に回復面に優れており、回復役を一人で賄える場面も多い。 攻撃面は☆7のステータスと特技バフにより祓串の中では攻撃力が高く、計略使用時は範囲火力としても高め。 長距離攻撃で敵の凶悪な陣形を事前に崩すことはできないが、それを正面からそのまま受け止めてしまうような運用が可能である。 先に実装済みの[[久能山城]]、[[室町第]]らに比べると、祓串の器用さを伸ばすというよりは、対多数に特化している。 自身を中心に陣形を守り維持する能力に長けていると言えるが、遠距離としては狭めの射程と、単体火力が低めという弱点もはっきりしている。 大物を排除する役をきちんと立てて連携すれば、他では真似できない活躍ができるだろう。 改弐の第一弾として[[平安京]]らと同じタイミングで実装。与ダメアップの超強化により''祓串とは思えない範囲爆撃キャラと化す''。 //2019/06/25に実装された。まだ実装数の少ない武器種のため、概要は[[祓串>ステータス一覧/祓串]]を一読すると良いだろう。 //古風な印象通りの分かりやすい「~のじゃ」キャラ。ただ「のじゃロリ」なのか「のじゃババア」なのか「のじゃロリババア」かは発言が無いため不明。 //性格に関しては天に対して「我に力を貸せぃ!」と尊大なセリフも有るのだが、 //所々に「ぱりぴ」や「あげぽよ~」と平仮名表記の間の抜けた単語を挟んだりするため、実際は拍子抜けするほど友好的。 //なおこれら横文字に関しては本人曰く「流行の最先端なのじゃ!」とのこと、ただ一部の単語やセンスは%%少々古め%%アンティーク的な物が……。 //一応簡単に祓串の職説明をしておくと、回復と防御無視攻撃を同時に行えるが器用貧乏に成りやすく、運用の理解が必要な職種。 -特技「おほみこともち」→「おぼみこともちのかみ」→「おほみこともちのつかさ」 自身の攻撃を割合上昇し、射程内の城娘の被ダメージを割合軽減し、全ての[大宰府と古代山城]の与ダメージが割合上昇する。 改壱になるとこれらの数値が全て強化され、さらに攻撃対象に対する攻撃速度への割合デバフが追加される。 特筆すべきは被ダメ軽減で、特技で他に付与できるタイプとしては最大級の値を持つのが強み(特に改壱以降)。 //特筆すべきは貴重な被ダメ軽減で、特技で他に付与できるタイプとしては最大級の値を持つのが強み。 通常の防御力バフは勿論、[[烏城]]等の攻撃力低下や、[[徳川大坂城改壱>徳川大坂城]]等の与ダメ低下と重ねれば更に堅い守りになる。 改弐になると与ダメアップ以外のバフ・デバフが40%という高い割合値に統一され、攻撃対象に対するデバフに攻撃低下も追加される。 そして肝心の与ダメアップは表記が倍率に変更されて一足飛びに大幅強化され、自身だけに限っても祓串らしからぬ大火力を発揮できるようになる。 #region(特定カテゴリ「大宰府と古代山城」の城娘) #include(特定カテゴリ/大宰府と古代山城,notitle) #endregion -計略「&ruby(さきもりのうた){防人歌};」→「&ruby(とおのみかど){遠の朝廷};」→「&ruby(おおきみのとおのみかど){大君の遠の朝廷};」 祓串限定対象の指定計略。効果時間中、射程内全敵・城娘に攻撃・回復を行えるようになる。''端的に言うと妖怪以外も溶かせる歌舞と化す''。 改壱になると効果時間延長し、自身の射程が固定値で上昇、さらに射程内の城娘の防御を倍率上昇させる効果が追加。 武器の基本性能を考えると、同レベルの歌舞と鈴を合体させて更に[[福知山音頭>福知山城]]をかけたような状態になる。 基本は大宰府自身の専用と考えてよいが、他の祓串も同じく同武器種限定が基本となるため、他の計略をシャッフルするのもあり。 効果時間に対して再使用時間は長めなので、山場となるラッシュを見極めて使いたい。 改弐になると改壱で追加された強力なバフ効果がさらに数値強化され、加えて''攻撃と回復が2連続化''する。 自身の特技と合わせた際のそれは圧巻の一言であり、射程を伸ばせば伸ばすほど制圧力が大幅に強化される。 計略で付与される射程強化だけでそれを成すのは難しいため、可能な限り射程バフは上乗せしたい。 // //-改築 //-改壱特技「おぼみこともちのかみ」 //改築後は自身の攻撃がヒットした敵の攻撃速度を4秒間35%低下させるデバフが追加される。 //計略中は射程内全ての敵に掛かるので特技の被ダメージ減少や計略の防御1.5倍と合わせ、鉄壁具合が更に増す。 //既存効果も、自身の攻撃''35''%上昇、射程内被ダメ''35''%軽減、全域[大宰府と古代山城]与ダメ''25''%上昇と強化された。 // //-改壱計略「遠の朝廷(とおのみかど)」 //改築後は計略時間が''30''秒に延長され、自身の射程が100上昇、射程内の城娘の防御1.5倍の効果が追加。 //計略短縮を受けられれば30%なら約31秒、35%で約29秒とほぼ永続的に効果をかけ続けることが可能。 // //-総評 //器用貧乏に成りやすい祓串でありながら扱いやすくまとまっているのは評価点。 //特技を始め、特に計略に至っては気軽に範囲内に攻撃と回復を同時に行えるので攻撃や回復を柔軟に行いながら、最悪保険として1枠使う価値もある。 //ただし基本的に祓串でやってはいけない事が、札や杖の代用、歌舞の代用、のように各専門職の代わりとして使う事なのは変わりなく、 //そのような運用をしてしまうと途端に劣化と言われても仕方ないので、適所や目的に合わせて運用できるようにしておこう。 -余談 古風な印象通りの分かりやすい「~のじゃ」キャラ。 性格に関しては天に対して「我に力を貸せぃ!」と尊大なセリフも有る。 が、所々に「ぱりぴ」や「あげぽよ~」と平仮名表記の間の抜けた単語を挟んだりするため、実際は拍子抜けするほど友好的。 一体どこで覚えてきたのだろうか…。 なお季節衣装は追加されていないが、[裏]方面が充実している。 ☆7[[[裏]大宰府]](2021年07月27日実装) ☆7[[[絢爛][裏]大宰府]](2024年03月26日実装) -性能の変遷 #style(class=submenuheader){{ &color(Black,gainsboro){詳細(クリックで表示)}; }} #style(class=submenu){{ --2020/02/04 [改壱]追加 --2021/08/31 特定カテゴリ「大宰府と古代山城」を追加 --2022/08/09 ---特技:おほみこともち 全ての[大宰府と古代山城]の与ダメージが20%上昇する効果を追加 ---[改壱]特技:おほみこともちのかみ 全ての[大宰府と古代山城]の与ダメージが25%上昇する効果を追加 --2023/12/12 ---[改壱]特技:おほみこともちのかみ 自身が攻撃した敵の攻撃速度の低下割合を25%から35%に上方修正 ---計略:防人歌 計略再使用時間を50秒から45秒に上方修正 ---[改壱]計略:遠の朝廷 計略再使用時間を50秒から45秒に上方修正 計略の効果持続時間を25秒から30秒に上方修正 対象の射程の上昇値を50から100に上方修正 対象の射程内の城娘の防御を1.5倍にする効果を追加 --2024/12/17 [改弐]実装 }} *キャラクターボイス [#voice] CV担当:[[野中藍>https://twitter.com/rarirurestn/status/1143871149182312449]] #region(←クリックすると台詞一覧が表示されます。) #table_edit2(td_edit=off,tr_edit=edit,table_mod=close){{ ※計略のない城娘の計略発動ボイスなど、通常流れないボイスはゲーム内の図鑑で聞くことができます。 |SIZE(12):BGCOLOR(#ddd):CENTER:60|SIZE(12):160|COLOR(#c09):SIZE(12):400|c |入手|入手|遠の朝廷と称されし万能の城娘とは、そうっ、&br;妾じゃ! 大宰府じゃ! で、そちが殿か?&br;ふーむ……。とりま、ありよりのありじゃな♪| |所領|所領1|妾はこう見えても、文明のクロスロードと呼ばれていてな。黙っていても色んなもの贈られてくるから、部屋の掃除がおっつかなくて大変なのじゃ。| |~|所領2|お~、いいところに来たのぉ。実は今度、ぱりぴな城娘たちと連歌会を開くのだが、殿も参加せぬか? きっと、あげぽよな集いになるはずじゃぞ~♪| |~|所領3|ま~た基肄城たちから手紙が届いておるな。えー、なになに。私たちはこれからもズッ友だよね、じゃとぉ? おい、殿。ズッ友とは何じゃ? 異国の言葉か?| |~|変身|ちょっとばかしさーびすしてやるかのぉ。 とりゃ~!| |~|変身解除|ただいまなのじゃー。 ふふっ、妾の私服もけっこうなういじゃろ?| |~|ダメージ1|くぅー。少しは加減せぬかぁ。| |~|ダメージ2|のわ!?こんなの、始めてなのじゃぁ。| |出陣|出陣|妾の神がかった戦ぶり、余すことなく見せつけてやるのじゃ!| |~|委任出撃|妾にかかればちょちょいのちょいなのじゃ♪| |~|編成1|うむ。ありありのありじゃ| |~|編成2|むっふふふ、頼られるのは嫌いじゃないぞ| |合戦|つままれ|ふにゃああ!?| |~|配置|がちんこ勝負なのじゃ!| |~|選択|ばいぶすあげあげなのじゃ!| |~|巨大化|天よ、妾に力を貸せぃ!| |~|特技発動|栄華を極めるとは、こういうことじゃ!| |~|計略発動|妾のいけいけふぃーばーたいむじゃ!| |~|大破|散らぬ花など、ありはせぬ……ということか| |~|勝利|ふふっ、なんともまぁ、えもい戦じゃったのう♪| |~|敗北1|勝負など所詮は時の運……。とりま、気分転換でもしに行くかのぉ。| |~|敗北2|こんな負け方するとか、つらたんなのじゃー。| |その他|合成|最先端の流行を先取りなのじゃ~♪| |~|放置|これっ、どうしてさっきから妾を無視するのじゃ。せっかく二人きりなんじゃから、もう少しくらい構ってくれても良いではないか。| |~|おかえり|お帰りなのじゃ殿。さあ、今日は約束通り、歌作りに付き合ってもらうぞ。 そちの歌が聞けるかと思うと、今からどきがむねむねなのじゃ♪| |~|ありがとう|あざーす、なのじゃ♪| |~|出陣画面(図鑑未登録)|おらついとる馬鹿どもを、ぶっ飛ばしに行くぞい!| }} #region(←クリックすると贈り物イベント、台詞一覧が表示されます。&color(Red){ネタバレ注意};) #table_edit2(td_edit=off,tr_edit=edit,table_mod=open){{ |SIZE(12):BGCOLOR(#ddd):CENTER:60|SIZE(12):160|COLOR(#c09):SIZE(12):400|c |イベント1|……なんだか胡散臭いな。|わ、妾を疑うと申すか!? この若造めっ!&br; 良いか? 妾は地元ではな、ちょーぱりぴで&br; 神がかった城娘として慕われておったんじゃからな!&br; その凄さをこれからとことん教えてやるから、覚悟せい!| |~|BGCOLOR(#fbd):斯様に凄い城娘がいるとは!?|うむ、なかなか良い感じの反応を返しおるのぅ。&br; それでこそ、妾の主に相応しい逸材じゃ♪ じゃがな、&br; 殿よ。確かに何でもできるとは言うたが、妾、家事は&br; 全て周りに任せてるんで。そこんとこシクヨロ~じゃ♪| |イベント2|BGCOLOR(#fbd):面白そうだな、それ。|じゃろう!? こうやってな、駒を刺しては抜く感触が&br; また気持ちの良いものでのぅ。ほれ、そちもやってみよ!&br; きっとやみつきになること間違いなしじゃ!&br; どうじゃ? 遊びたくなってきたじゃろう?| |~|古臭い遊びだな……。|ふ、古臭いじゃとぉ!? ふ、ふんっ。そちには、&br; どうやらこのげぃむの面白さがまだ分かっておらん&br; ようじゃのう。どれ、論より証拠、習うより慣れろじゃ。&br; 妾が教えてやるゆえ、はよ膝の上に座らせるのじゃ!| |イベント3|BGCOLOR(#fbd):それなら、遠慮なく貰おう。|うむうむ。他でもないそちのために用意した代物じゃ♪&br; どうじゃ? 嬉しさのあまり、妾を抱きしめたくなって&br; きたじゃろう? ほれ、遠慮せずとも良いのじゃぞ?&br; ここは年上らしく、慈しみをもって抱き締めてやるでの♪| |~|なにか変なものでも食べたのか?|あぁ~、めんぶれじゃ。妾、今ちょーめんぶれ&br; 起こしそうじゃ~。誰のせいかの~?&br; 誰の言葉のせいかの~? ……うむ、反省しておるのなら、&br; 今夜は一晩中妾と遊べ。それで許してやるのじゃ♪| }} //正解色 BGCOLOR(#fbd): #endregion #endregion 特殊ボイス: 利用可能 *画像 [#image] イラストレーター: |&uploader(82884f133656f2e3bb7388663bfd12e11862b42d_scre_6101,51%);| |CENTER:&size(25){COLOR(red){入手}};| #region(COLOR(red){''←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''}) |&uploader(495c777aea359f1256133d3d41dd7225c43a01be_scre_6105,50%);|&uploader(401dc77da0e06250fbd9fd2da4c068e683949e39_scre_6106,50%);| |CENTER:&size(25){COLOR(red){御嬢}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){城娘}};| #region(COLOR(red){''←クリックすると大破、特技画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''}) 大破、特技画像 |&uploader(e589dde4528d1055ca996c06e9ff41ea217d6b85_scre_6102,50%);|&uploader(3e17cc109902e0d9931374bdbd76a09628372a36_scre_6103,50%);| |CENTER:&size(25){COLOR(red){大破}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){特技}};| #endregion #endregion ***改壱 [#t78155a0] #region(COLOR(red){''←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''}) |&uploader(495c777aea359f1256133d3d41dd7225c43a01be_scre_6105,50%);|&uploader(876dee8b5a1afa7c5bfc20c962d6de5fb2a13c17_scre_7852,50%);| |CENTER:&size(25){COLOR(red){御嬢}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){城娘}};| #region(COLOR(red){''←クリックすると大破、特技画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''}) 大破、特技画像 |&uploader(46e003e7ab2f38a70766e729a2e94b147e771b07_scre_7853,50%);|&uploader(77cd4016fa43178cdbd6c61e26b3da81507d89a3_scre_7854,50%);| |CENTER:&size(25){COLOR(red){大破}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){特技}};| #endregion #endregion *城娘の元ネタ情報 [#note] //※※※注意事項※※※ //元ネタ記事を増やす際には無駄な行間を無くすため「#br」は入れないでください。 //中項目【デザイン】【特技・計略】【セリフ】の第一行「#style(style=padding-bottom~」と末行「}}}」は各中項目の間隔調整も兼ねているのでそのままにしておいてください。 [[【出張版】教えて!れきしクン!]] 第04陣にて公式解説あり。 【デザイン】 #style(style=padding-bottom:.5em;){{{ //次の6行を使って折りたたんでください。 //#style(class=submenuheader){{ //&color(Black,gainsboro){(題名を入力してください)(クリックで表示)}; //}} //#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{ //(本文を入力してください) //}} }}} 【特技・計略】 #style(style=padding-bottom:.5em;){{{ //次の6行を使って折りたたんでください。 //#style(class=submenuheader){{ //&color(Black,gainsboro){(題名を入力してください)(クリックで表示)}; //}} //#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{ //(本文を入力してください) //}} }}} 【セリフ】 #style(style=padding-bottom:.5em;){{{ #style(class=submenuheader){{ &color(Black,gainsboro){しゃれおつな風水思想にのっとって築かれた城娘(クリックで表示)}; }} #style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{ 風水の四神相応を取り入れ、北(玄武)に大野山、東(青龍)に御笠川、南(朱雀)に二日市温泉、西(白虎)に西海道のある場所に大宰府が置かれ、鬼門の護りとして竈門神社が創建されたと伝えられている。 }} #style(class=submenuheader){{ &color(Black,gainsboro){大宰府と太宰府}; }} #style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{ 古代の役所や遺跡(政庁跡など)は『大宰府』と点なしで表記し、現在の市の名前や天満宮などは、点ありの『太宰府』と表記する }} //次の6行を使って折りたたんでください。 //#style(class=submenuheader){{ //&color(Black,gainsboro){(題名を入力してください)(クリックで表示)}; //}} //#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{ //(本文を入力してください) //}} }}} *現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) 大宰府とは、7世紀後半に筑前国に設置された地方行政機関であり、また、それの置かれていた防衛拠点の呼称。 当時の貿易相手である中国・朝鮮方面に対しての外交及び防衛を担うと共に、西海道(現在の九州地方)の管轄を担当した。 平城京や平安京と同じく条坊制が敷かれていたとされており、権限の大きさも相まって「遠の朝廷(とおのみかど)」とも呼ばれる。 西海道の政治や軍事の中心ということもあり、幾度となく戦禍に見舞われるが、その都度、再建された。 時は進み、武士の台頭による律令制の衰退により、その機能は鎌倉幕府の鎮西奉行、そして鎮西探題へと継承されていくこととなる。 #br #style(class=submenuheader){{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }} #style(class=submenu){{ 大宰府とは軍事機能の一端を担い、かつ西海道全体を統轄した当時としては最大規模の国府(地方官衙)で、土塀・土塁や濠はもちろんのこと、守護のため兵士も常駐していた((九州歴史資料館の松川博一氏は『類聚三代格』(平安時代に書かれた法令書)をもとに、大宰府守護の兵士のほか、そこに勤める九州各国の役人を護衛するための兵も私的に使役していただろうと指弾している。))。 初期は堀立柱建物や柵を巡らせた簡単なもので、平城京と同様の朝堂院形式の建物へと大きく改築されたのは8世紀ごろのようだ。とくに写真資料で見かける大宰府政庁復元模型は10世紀ごろの姿を現している。 大宰府自体の防衛力は去ることながら、周りの支城・防壁の存在によって「羅城」と化し、外交、防衛が増した。攻め込まれたとしても逃亡先の[[大野城]]で籠城戦ができるようあらかじめ備蓄を行っている点も特色だろう。 建物上の変化は大きく分けて3期あり、下段の各期城郭構造にて詳らかにしてゆく。さらに、大宰府ゆかりの人物や事象も別枠を設け説明してゆくので、そちらを参考にしていただきたい。 #br 遠の朝廷(とおのみかど)と称される大宰府の歴史は古く、宣化天皇元年(536年)、博多の那津に官家を修造して有事に備えた那津官家(なのつみやけ)に軍事上の起源を求める向きがある。 文献上初めて姿を現すのは『日本書紀』で、推古天皇17年(609年)に大宰府の前身である筑紫大宰(つくしたいさい)が百済僧の肥後国葦北漂着を報告したとある。 #br なぜこの地に政庁機能・国防の一端がこうして築かれたのか。古来より東アジアとの外交の都合上どうしても筑紫に拠点が必要となったからであった。 倭国は4世紀からすでに新羅と戦い、百済との交流をもつ。404年には高句麗軍と対戦して潰敗した。古来よりすでに出兵や交易によって海外という存在を強く認識していたことが分かる。 こうした交流の中、たとえ九州支配を盤石とするための地方行政機関機能が大宰府の初目的であったとしても、じょじょに外交の必要性に駆られ、施設に外交能力が付加されたことは古代の文献や遺構から容易に想像がつく。 また、新羅の海賊事件や13世紀の元寇を含めて顧みれば、東アジアの軍勢が上陸の足掛かりとして、真っ先にこの北部九州を選択するのは火を見るよりも明らかであった。国家防衛手段の確立も必須であったのだ。 しかし当初から軍事力に優れているわけではなく、顕著な軍事強化は白村江の戦い以後で、このころはまだ簡単な施設に海上や施設内警備の兵士を置く程度であったと推測され、まだ地方行政の色が強い。 白村江の戦いの大敗の教訓により、南に[[基肄城]]、とうれぎ土塁、関屋土塁、水城周辺には3つの小水城((天神山土塁、大土居土塁、上大利土塁を指す。通常の水城の規模が小さくなったものと考えて差し支えない。))を築いた。『遠の朝廷』に因ればその配置からは百済最後の王都となった泗沘都城(しひとじょう)((錦江を天然の要害とし、政庁やや下中央に錦城山城、北に扶蘇山城・青山城・北羅城、西に西羅城2つ、川を挟んだ西側奥に浮山城、東に青馬山城・東羅城、南に南羅城を抱きかかえていたようだ。その他、土塁で政庁を囲んでおり、その構造を「羅城」と呼ぶ。))に似るという。 複数の山城と土塁の壁に覆われていることから''「大宰府羅城」''とも呼ばれた。大宰府の背に位置する北には堅牢な山城・大野城が、西の脇には[[水城]](みずき)が障壁を成している。その雰囲気にはただならぬ凄みを感じるばかりである。 敗戦をきっかけとした防衛対策とは言え、大宰府は唐・新羅との戦いを機に西海の地では右に出るものがいないほどの大規模な軍都と化した。しかし、唐と新羅が敵対したため幸いにも後に日本に攻めてくることはなかった。 上述では軍事上の話を推してはいるが、貿易力にも優れており、大宰府に限らずその官道、観世音寺や[[大宰府鴻臚館]]の遺構から出た多くの貿易出土品からその成果が窺い知れる。 特に迎賓館の機能を有していた大宰府鴻臚館と西海道随一の大寺と呼ばれた観世音寺は、貿易の陶磁器や文物とともに大陸の情報が入ってきた。最先端の世界情勢を得る手段としてその存在と力を遺憾なく発揮したであろう。 #br 余談だが、『日本書紀』には「天武天皇七年(679年)難波に羅城を築く」という記載はあるものの未だ発見には至っていない。 また、文献上でしか確認が出来ていない三野や稲積の遺構発見にも期待が高まる。 なお大宰府の呼び名については現存する古代の印影には「大宰之印」とあるが、奈良時代の文書『懐風藻』(751年~752年ごろ成立)や『唐大和上東征伝』(779年)にも「太宰府」の名称で記述が登場する。 現在では機関名は「大宰府」、地名や天満宮としては「太宰府」と使い分けられている。大宰府は和名で「オホ ミコトノモチ(ノ) ツカサ」という。 #br 平成31年(2019年)4月1日に万葉集の「梅花の歌三十二首の序文」が由来である新元号「令和」が公表されると、序文が大宰府政庁の長官である大伴旅人の邸宅で開かれた梅花の宴の際に詠まれた歌32首につけられたものであることから、「令和の聖地」として注目を集めた。 また、大宰府政庁跡の史跡近くの大宰府展示館では、梅花の宴の様子を博多人形にて再現した模型が展示されており必見である。 }}} |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|福岡県太宰府市観世音寺4| |現存状態|土塁、礎石、門跡(堀立柱跡)| |城郭構造|国府| #br #style(class=submenuheader){{ &color(White,Maroon){政庁機能を超えて(クリックで表示)}; }} #style(class=submenu){{ ***政庁機能を超えて [#qe2263f7] 大宰府は古代律令制における地方官衙((因みに「衙」の意味と漢字は古来中国から来た言葉であるが、本来地方行政ではなく、もともと「官邸」の意味であったとされる。『新唐書』(単に『唐書』ともいう)にも「天子の居、衙と曰う」と確かに記載が残っている。))の代表格として[[多賀城]]と並び、中央政府の権威を保つための出先機関である。国防能力を期待され何度も増築・改修された。 こうした出先機関は国衙のほか、郡衙(ぐんが)、関塞(せきそこ)、駅家(うまや)、営所などが存在する。 さらに、国衙の機関を中心に形成された政治・軍事都市を「国府」といい、多賀城ならびに大宰府は他の地方官衙よりも国府としての軍事性が突出した存在であった。 北の多賀城が蝦夷地経営を主とし、他方の大宰府は西の守り、大陸・半島との外交を任されていたことからもその特殊さが際立つ。 }} #br #style(class=submenuheader){{ &color(White,Maroon){各期城郭構造(クリックで表示)}; }} #style(class=submenu){{ ***各期城郭構造 [#o8bde07d] 下記はもっとも重要な建物であった大宰府の心臓部「大宰府政庁」の改築をおもにⅢ期に分けて解説したものである。 #br 【第Ⅰ期】7世紀後半~8世紀第1四半期 政庁第Ⅰ期は堀立柱建物(直接地面に木製の柱を立てるもの)や柵によって構成されており、南門・中門地区、回廊東北隅部、北門地区、正殿地区においてそれが確認されている。 上層にある第Ⅱ期・第Ⅲ期の遺構の残存状態が良好であるため、調査範囲が限定されざるを得ず、全体の把握までには至ってないが、初期から都宮に倣った朝堂院形式の建物配置であったと仮定するのは難しい。 ただ、確認された建物や柵の中には上層以降の南北の中軸線と方向がほとんど合致するものであり、第Ⅱ期の遺構につながるものとして注目している。 なお、最古の鬼面鬼瓦はこの遺跡で出土しており、新羅の鬼面文と酷似するため新羅工人がかかわっていたのではないかと『和瓦のはなし』では語られている。調査によると7世紀末期に製作されたものらしい。 くわえて、平成28年(2016年)、福岡県筑紫野市の丘陵上で約500メートルに及ぶ大規模な7世紀の土塁が新たに発掘され、大宰府一帯を山城や土塁で囲んで区画し防衛していたとする学説が改めて注目を集めた。 土塁は古代の土木技法「版築」を用いたり尾根を切り出したりして築かれており、大宰府を守った古代の城である水城の土塁と同じく、下成土塁と上成土塁((下成土塁…土台となる低めで長大な土塁。上成土塁…下成土塁の上に堆く盛る土塁のこと。))の二段構造となっていた。 今回発見された土塁は1.5メートル程度だが、もとは2メートルほどあったと推測される。 #br 【第Ⅱ期】8世紀第1四半期~10世紀前半(天慶4年(941年)) 第Ⅱ期遺構には、第Ⅰ期遺構と大きく相違する点がいくつかある。構造面では第Ⅰ期建物が堀立柱建物であるのに対して、第Ⅱ期のそれはほとんどが礎石を敷いて建てられている。丸瓦も[[大宰府鴻臚館]]と同じものが出土した。 またその配置には朝堂院形式を採用しており、これは藤原宮([[藤原京]])や平安宮([[平安京]])など都宮の中心施設に倣ったもので、大宰府の場合はまず政庁域の北寄りに正殿、さらにその北側に後殿があった。 正殿の南方東西に各2棟の脇殿を配し、これらに挟まれた正殿南面部分が広場(前庭)を形成している。また、その南に中門があり、正殿と中門は脇殿を取り込む形でめぐる回廊で結ばれている。 中門の南にさらに南門が配置されており、水城の西門を無事通過してきた海外の使者は長い官道を経て、まず大宰府内へ通じる朱雀大路を通って南門をくぐってゆくことに始まる。 このほかには正殿後背地区北東隅で建物が1棟確認されている。これらの建物はすべて正殿―中門―南門を結ぶほぼ真北方向の中軸線を基準として正殿と配置されているのだ。第Ⅲ期もこの建物配置を踏襲している。 ちなみに、通説では藤原純友の乱の折に一党によって大宰府政庁は焼き討ちにあい、その後再建されることは無かったとされていたが、焼土層を整地した上に第Ⅲ期の礎石が確認されたため、再建無しの通説が覆った。 #br 【第Ⅲ期】10世紀後半~12世紀前半 政庁第Ⅲ期は朝堂院形式の建物配置をとることや、礎石建物によって構成されるなど、基礎は第Ⅱ期のそれを踏まえている。 ただし、多少の差異ではあるが南門の基壇が東西・南北それぞれ1.2メートル拡幅され、また回廊も全体規模のそのままで梁間を若干狭めるという改修があった。 大きな差異もまたあった。第Ⅱ期にはあった正殿後背地区北東隅にあった建物はなくなり、かわりに後殿北方東西に楼とみられる建物が造営された点である。 第Ⅲ期以降の造営年代を推定する根拠となった資料のひとつに「安楽之寺」の銘を有する文字瓦がある。この瓦は第Ⅲ期南門基壇下の瓦溜まりから出土したものだ。 「安楽之寺」とは延喜3年(903年)に没した菅原道真を葬った安楽寺のことと考えられ、その創建の時期は残された記録から延喜年中(901~923)と推定される。 したがって、少なくとも第Ⅲ期南門の造営年代はこれ以降ということになる。さらにはこの瓦溜まりには焼土・灰が多量に含まれていた。焼き討ちのものと考えられる。 }} #br #style(class=submenuheader){{ &color(White,Maroon){主に関係する歴史上の人物一覧}; }} #style(class=submenu){{ ***主に関係する歴史上の人物一覧 [#j452c10f] ●筑紫大宰栗隅王(つくしのたいさいくりくまおう) 筑紫の大宰として筑紫国に存在していた栗隅王は、壬申の乱の際に大友皇子の兵力動員要請を拒否し「筑紫の兵力はもともと外敵の侵入を防ぐため、内乱に使うものではない」と一蹴した。(出典:『日本書紀』) #br ●大宰帥大伴旅人(だざいのそちおおとものたびと) 彼の邸宅を舞台に行われた梅花の宴で有名な歌人でもあり、彼と山上憶良を含む宮廷歌人が残した歌を「万葉筑紫歌壇」と称す。大宰府政庁にはその万葉歌碑が7基建立されている。 大宰府を立つため関門であった水城へ進む大伴旅人とその思い人であった児島との間、二人は離別に際してこういう歌を交わしている。 '''「凡ならば かもかもせむを 恐れみと振りたき袖を 忍びてあるかも」''' (普通の身分の者なら、ああもしたい、こうもしたいと思うのですが、貴い身分のあなたへは恐れ多く、袖を振るのさえ我慢しています) 児島 '''「ますらをと思へる吾や水くきの 水城のうへに涙拭はむ」''' (涙など流さないと思っていた私が、水城のほとりで涙を拭うことになるのだろうか) 大伴旅人 #br ●菅原道真(すがわらのみちざね) 大宰府と聞けば思い浮かぶ最も有名な歴史上人物といえば、この菅原道真のほかないだろう。 「諸陣、警固す。帝、南殿に御し、右大臣従二位菅原朝臣を以て大宰権帥に任じ、大納言源朝臣を以て右大臣に任ず。」左記は『日本紀略』昌泰4年(901年)正月25日条、菅原道真の大宰府左遷を伝える記事である。 左遷事件の背景には文人でありながら右大臣にまで上りつめた菅原道真とその一族、その門人たちの勢いと、それを阻止しようとする左大臣藤原時平の策略があったものと考えられている。 左遷された道真は榎社にあったといわれる「府の南館」の粗末な宿舎に追いやられ不遇な時を過ごすが、一切の恨み言は言わず朝廷への忠誠と己の境遇を平静にみつめる生活であったという。 左遷から2年後の延喜3年(903年)に病が原因で倒れ、大宰府配所で失意のうちにこの世を去った。門弟である味酒安行が道真の遺言どおりに柩を牛で引き、牛が止まった場所を埋葬地とした((『天神縁起絵巻』に葬送の様子が描かれている。))。 埋葬場所には祀廟を建て、その菩提を弔うため建てられたのが安楽寺である。なお、牛が止まった場所は現在の太宰府天満宮の本殿の下に眠っているとされ、天満宮は道真の魂を鎮めるための創建であった。 }} *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,)