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鎌倉城 の変更点

#include(城娘項目,notitle);

#include(城娘ステータス注釈,notitle)

|CENTER:300|BGCOLOR(#FCC):80|BGCOLOR(#FCC):90|BGCOLOR(#FCC):80|BGCOLOR(#FCC):90|c
|>|>|>|>|BGCOLOR(#f99):CENTER:''鎌倉城(かまくらじょう)''|
|&attachref(./鎌倉城S.png,nolink);|>|BGCOLOR(#111):CENTER:&ref(画像で一覧RE/鎌倉城.png,nolink);|図鑑No.|274|
|~|>|~|レア|7|
|~|>|~|城属性|&ref(画像置場/山.png,nolink);|
|~|>|~|令制国|相模|
|~|>|~|武器属性|[[弓]]|
|~|>|~|最大レベル|120|
|~|実装日|>|>|2018年03月06日|
|~|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''合戦''|
|~|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''初期配置/&color(Red){最大値};''|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''巨大化5回/&color(Red){最大値};''|
|~|消費気|9|消費気((基本消費気を含みます))|104|
|~|耐久|1168/&color(Red){2310};|耐久|2452/&color(Red){4851};|
|~|耐久|(1168)/&color(Red){(2310)};|耐久|(2452)/&color(Red){(4851)};|
|~|攻撃|(61)/&color(Red){(244)};|攻撃|(109)/&color(Red){(439)};|
|~|防御|47/&color(Red){201};|防御|98/&color(Red){422};|
|~|射程|290/&color(Red){290};|射程|522/&color(Red){522};|
|~|回復|10/&color(Red){34};|回復|16/&color(Red){54};|
//
|>|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''[[特技]]''|
|BGCOLOR(#FCC):[無印] / 御恩と奉公|>|>|>|殿と射程内の城娘の耐久と防御が20%&br;回復が20上昇|
|BGCOLOR(#FCC):[&color(Red){改壱};] / 鎌倉殿|>|>|>|殿と射程内の城娘の耐久と防御が25%&br;射程と回復が30上昇|
|>|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''[[計略]]''|
|BGCOLOR(#FCC):[無印] / 南無八幡大菩薩&br;(使用まで80秒:消費気10)|>|>|>|20秒間対象が術攻撃を行い&br;妖怪への攻撃が1.5倍になる&br;(弓城娘が対象)|
|BGCOLOR(#FCC):[&color(Red){改壱};] / 弓矢八幡&br;(使用まで50秒:消費気10)|>|>|>|20秒間対象が術攻撃を行い&br;妖怪への攻撃が1.5倍になる。射程内の&br;妖怪の移動速度が80%低下(弓城娘が対象)|
//
|>|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''図鑑文章''|
|>|>|>|>|私のことを説明すればいいのだな?&br;ああ、任せておけ。&br;私こと鎌倉城は、源頼朝によって築城されたと&br;言われている。また、鎌倉は天然の要塞都市とも&br;賞され、討幕軍が攻めてきた時は、私を拠り所&br;として激闘を繰り広げたともされているのだ。&br;ん? 戦い以外にできることはあるのか、だと?&br;ふっ、甘く見られたものだな。&br;私は掃除洗濯料理に裁縫諸々習得済みだ。&br;何をそんなに驚いている?&br;これくらい城娘ならば当然だろう?|

|BGCOLOR(#F99):CENTER:120|400|c
|''[[築城]]''|05:00:00|
|''キャンペーン''|【城プロRE】iOS版リリース記念、事前登録80万人突破報酬。|

//#style(class=submenuheader){{
//-''[[城娘改築]]''
//}}
//#style(class=submenu){{
//
//}}
//#table_edit2(td_edit=edit,tr_edit=edit,table_mod=open,calc=1,form=text=|text=|select=_1_2_3_4_5_6_7_8|select=_3_4_5|select=_1_2_3_4_5_6_7_8_9_10_11_12_13_14_15_16_17_18_19_20|select=_34-5_45-5_57-5_42-6_55-6_70-6_48-7_63-7_80-7_56-8_73-8_93-8_63-9_82-9_104-9_71-10_93-10_118-10_76-11_100-11_127-11_84-12_110-12_140-12_91-13_119-13_151-13_98-14_128-14_163-14_105-15_138-15_175-15_113-16_148-16_188-16,){{
//|>|SIZE(13):|>|>|>|>|SIZE(10):|>|>|>|>|>|>|>|>|>|SIZE(13):|c
//| | |~レア|~[[&color(White){巨大&br;化数};>巨大化・属性#l379325e]]|>|>|~&size(12){[[&color(White){消費気};>巨大化・属性#i31da6d1]]};|>|>|>|>|~''初期配置''|>|>|>|>|~''巨大化''|h
//|~|~|~|~|~[[&color(White){基本};>巨大化・属性#ubbc4e49]]|~[[&color(White){強化};>巨大化・属性#u2b9a394]]|~&color(White){合計};|~耐久|~攻撃|~防御|~射程|~回復|~耐久|~攻撃|~防御|~射程|~回復|h
//|>|BGCOLOR(#ccc):CENTER:50|>|BGCOLOR(#ddd):CENTER:30|>|>|CENTER:30|BGCOLOR(#ffe):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#fef):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#eff):CENTER:SIZE(10):60|>|BGCOLOR(#fff):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#ffe):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#fef):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#eff):CENTER:SIZE(10):60|>|BGCOLOR(#fff):CENTER:SIZE(10):60|c
//|>|無印|||||@cell_ra(0,1)+@cell_ra(0,2)|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|10/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|
//|>|改壱|||||@cell_ra(0,1)+@cell_ra(0,2)|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|10/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|
//}}

#style(class=submenuheader){{
-''ステータス一覧(クリックで展開)''
}}
#style(class=submenu){{
#include(鎌倉城/ステータス,notitle)
}}
#br

*ゲーム上の性能・評価 [#evaluation]
-概要
城プロREiOS版リリースの事前登録80万人突破記念報酬として配布された☆7山弓。
現在は、常設の特殊築城で図鑑未登録時の出現率が上昇している。
図鑑未登録時でも☆7であるため確率は低い。特殊築城を繰り返し、好運に恵まれれば加入してくれるだろう。
堅実な特技と強力な計略を持ち、優秀と名高い既存の山属性の弓と比較してもわかりやすい強さを誇る。
特技によるバフが防御重視であるため、火力を上げることのできる城娘と組みたいところ。
 
-特技「御恩と奉公」
殿と射程内の城娘の耐久、防御を20%、回復値を20上昇させる特技。
同属性は[[岩殿山城]]や[[セゴビアのアルカサル]]、他属性なら[[小田原城]]などが持つ耐久重視の能力で、鎌倉城は回復+20が付随している。
それらと比較すると展開速度が最も早く、手早く近接の防御能力をあげられる。
なお、殿は射程内にいなくても効果を得られるので、殿を意識した配置をする必要はない。
 
-計略「南無八幡大菩薩」
対象の弓城娘が20秒間術攻撃を行い妖怪への攻撃が1.5倍になる計略。術攻撃とは妖怪に攻撃が半減されず、敵の防御を無視する遠隔攻撃。
持続20秒/使用80秒と回転率が悪いのがネックだが、固い相手も弓で処理できるようになる、毛虫系兜や一ノ谷形兜(メタグロス)などを始め、防御値の高い相手程有効。
効果的な攻撃手段が限られている妖怪に対して、弓城娘限定で短時間とはいえ、攻撃が1.5倍になり攻撃半減効果を無視できるので、上手く使えば苦しい状況を打開する一手になる可能性もある。
素ステの高い鎌倉城自身にかけてもいいが、攻撃性能が高い[[岡豊城]]などにかけても良いだろう。
ただし、他の計略がかかっている城娘にかけても計略を上書きしてしまい、併用はできない為注意。
//また、公式には明言されていないが「非物理」攻撃になる。非物理の詳細は[[用語集>用語集#nonphysical]]を参照。
 
-改壱
実装から2年経過し2020年3月10日に追加された。同じ時に特殊築城(当時の超特殊築城)により入手する道が開かれた。
計略持ちであるため基本消費気が-1され、☆7であるため特技・計略の両方が強化される。
特技「鎌倉殿」
殿と射程内の城娘の耐久・防御上昇が20%から25%に強化され、回復上昇が20から30に増加、新しく射程上昇+30が追加された。
射程上昇により攻撃に関係するバフを入手した。回復上昇と同様、固定値バフであるため上書きされない。
山属性で射程バフを持つのは[[近江八幡城]]や[[竹田城]]、[[芥川山城]]などがいる。編成を工夫するのも良いだろう。
防御耐久回復バフとしては、バフの効果量が向上した点が大きく、射程範囲の拡大や必要気の低減、いずれも重要な強化である。
計略「弓矢八幡」
強化点は2点。対象の射程内の妖怪の移動速度を80%低下させる効果が追加され、ネックであったCTが80秒から50秒に短縮された。
妖怪のみという制限はあるが、対象の射程内の移動速度低下としては[[ウェストミンスター宮殿]]の計略と同等の高い効果量を持つ。
既存効果の防御無視や妖怪に攻撃1.5倍・攻撃半減無効の付与と合わせて、妖怪に対して特に強力な計略となった。
CTが改善されたとはいえ効果時間20秒/使用間隔50秒と回転は良くはなく、消費気も10と重い点に注意したい。
 
-総評
☆7に相応しい特技・計略を持つ優秀な城娘である。
ただし、特技を最大限に活かすには自身の射程内に近接城娘や石弓などといった、ある程度防御が高めな武器種がいる事が大前提である。
自身もそうだが、それ以外の後衛武器種では割合防御・耐久バフは思ったほど活かせない。配置の際には気をつけたいところ。
 
-性能の変遷
#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){詳細(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu){{
//バランス調整がされた際に箇条書きで記載してください。
//--2016年00月00日、特技の効果を修正
--2020年03月10日 改壱を追加
--2021年03月30日
//--2016/00/00、特技の効果を修正
--2020/03/10 改壱を追加
--2021/03/30
---計略「南無八幡大菩薩」計略の効果時間を15秒から20秒に上方修正
---改壱計略「弓矢八幡」計略の効果時間を15秒から20秒に上方修正
--2021年12月21日
--2021/12/21
---計略:南無八幡大菩薩
妖怪への攻撃が1.5倍になる効果を追加
---[改壱]計略:弓矢八幡
妖怪への攻撃が1.5倍になる効果を追加
}}
*キャラクターボイス [#voice]

CV担当:[[原由実>http://5pb.jp/records/sp/yumi/]]

#region(←クリックすると台詞一覧が表示されます。)

#table_edit2(td_edit=off,tr_edit=edit,table_mod=close){{

※計略のない城娘の計略発動ボイスなど、通常流れないボイスはゲーム内の図鑑で聞くことができます。
|SIZE(12):BGCOLOR(#ddd):CENTER:60|SIZE(12):160|COLOR(#c09):SIZE(12):400|c
|入手|入手|我が名は鎌倉城。&br;其方の求めに応じ馳せ参じた。&br;日の本を救わんとする其方の熱き志は私が守ってみせる。&br;ふふっ、もう何も心配する必要はないぞ。|
|所領|所領1|なに!? しらす丼を食ったことがないだと? それはいけない! よし、すぐに作ってやるから、そこで待っていろ。……すぐに戻るからな!|
|~|所領2|ん? 良い国作ろう? 馬鹿者。国はお前が作れ。代わりに私は良き箱、つまり国を治めるに足る其方の器を作ってやる。|
|~|所領3|むぅ、また大きく……。全く、これでは戦いの邪魔になるな……って、殿! え、何が大きくなったのかだと? さ、察しろ。この……馬鹿者。|
|~|変身|我が変身、しかとその眼に焼き付けよ!|
|~|変身解除|戻って来たぞ。さて、次は何をして欲しいんだ? 殿。|
|~|ダメージ1||
|~|ダメージ2||
|出陣|出陣|大事を思い、計らうものよ。露払いは、この鎌倉城が引き受けよう。|
|~|委任出撃|心配はいらない。其方は其処で見ていろ。|
|~|編成1|いつでも出陣できる。さっ、共に行くぞ!|
|~|編成2|日の本鎮護の城娘として、今こそ武を振るわん!|
|合戦|つままれ|きゃあ! そ、そこは弱いのだ……。|
|~|配置|皆の者、我に続け!|
|~|選択|武士道の真髄、見せてやろう!|
|~|巨大化|戦場の露と消えよ!|
|~|特技発動|その魂すら、射抜いてみせる。|
|~|計略発動|これぞ、城娘の本懐!|
|~|大破|この犠牲も、王道の礎となるはずだ……。|
|~|勝利|皆の者、勝ち鬨を上げよ! えい、えい、おう!|
|~|敗北1||
|~|敗北2||
|その他|合成|おお、力が溢れてくるぞ。|
|~|放置|どうした? 急に黙り込んで……もしかして、腹が痛いのか? 仕方ないな、私がさすってやろう。すり、すり、すり……どうだ? 少しは楽になってきただろう?|
|~|おかえり|ようやく戻ってきたか、殿。なに? 心配したか、だと? ……当たり前の事を訊くな! 親愛なる主君を案じぬ城娘が、どこにいるというのだ。|
|~|ありがとう|感謝するぞ。|
|~|出陣画面(図鑑未登録)|全軍、勝ち戦の余勢に乗れ!|
}}

#region(←クリックすると贈り物イベント、台詞一覧が表示されます。&color(Red){ネタバレ注意};)
#table_edit2(td_edit=off,tr_edit=edit,table_mod=close){{
|SIZE(12):BGCOLOR(#ddd):CENTER:60|SIZE(12):160|COLOR(#c09):SIZE(12):400|c
|イベント1|……んー。よく分からないな。|なん……だと!? ……え? 私の説明が悪い? うむぅ。よし、次は幼子にもわかる様に説明してやろう。近くによるがいい。ふふ、少し面映ゆいな。|
|~|BGCOLOR(#fbd):ふむ……どうりで立派なわけだ。|ああ、私は器もゆるぎないものと自負している。……って、どこを見ているのだ? 赤ん坊でもあるまいし、まさか甘えたいとでも? ……ふふ、面白いやつだな。|
|イベント2|BGCOLOR(#fbd):おお……妻にほしいくらいだ。|ふふっ、面白い冗談だな、殿。だが……そうだな。世の中が平和になって、互いに相手がいなかったら、その時は、面倒を見てやろう。|
|~|料理ができない城娘もいるぞ。|な……まさか、冗談だろう? 料理が出来ないって、そんな……。ははっ、殿、さては私をからかってるな? そうだろう? な、そうだと言ってくれ。|
|イベント3|母上ぇー。|馬鹿者っ! 誰が母上だ! お母様と呼べ! いいか、私の子になったからには厳しく躾けるぞ! だが、甘やかす時は徹底的に甘やかす! それが私の教育方針だ!|
|~|BGCOLOR(#fbd):ならいっそ本当に母になるか?|母になる、か……。そうだな、いずれは私も自分の子が欲しいものだ。最初は、そう……某方みたいに、凛々しく勇敢な男の子がいいかもしれぬな。|
}}

#endregion
#endregion
*画像 [#image]
イラストレーター:

|&uploader(2f7c98389d235e3c5452f3884e7284bc5cd9069c_scre_2538,50%);|
|CENTER:&size(25){COLOR(red){入手}};|

#region(COLOR(red){''←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''})
|&uploader(4f048a417a130a57315433743f15cf288633de3a_scre_2540,50%);|&uploader(25dd48c393d7540737a43280b3ad9cf8f5f0cac1_scre_2539,50%);|
|CENTER:&size(25){COLOR(red){御嬢}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){城娘}};|

#region(COLOR(red){''←クリックすると大破、特技画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''})
大破、特技画像
|&uploader(f1b175d75d551c582da5da921c33a2efa307804c_scre_2542,50%);|&uploader(06980028578496e97f95dc3c3089057bd898f2f4_scre_2541,50%);|
|CENTER:&size(25){COLOR(red){大破}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){特技}};|
#endregion
#endregion

***改壱 [#a416608a]
#region(COLOR(red){''←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''})
|&uploader(4f048a417a130a57315433743f15cf288633de3a_scre_2540,50%);|&uploader(5b213a820b93473e812082d7d9f52923273d1244_scre_16058,50%);|
|CENTER:&size(25){COLOR(red){御嬢}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){城娘}};|

#region(COLOR(red){''←クリックすると大破、特技画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''})
大破、特技画像
|&uploader(d5814dcddefb088fdde6fcc19803f5a378202f43_scre_16060,50%);|&uploader(6aa642ed0777e2692b53b85c78f08953fddf7b44_scre_16059,50%);|
|CENTER:&size(25){COLOR(red){大破}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){特技}};|
#endregion
#endregion
*城娘の元ネタ情報 [#note]

//※※※注意事項※※※
//元ネタ記事を増やす際には無駄な行間を無くすため「#br」は入れないでください。
//中項目【デザイン】【特技・計略】【セリフ】の第一行「#style(style=padding-bottom~」と末行「}}}」は各中項目の間隔調整も兼ねているのでそのままにしておいてください。

【デザイン】
#style(style=padding-bottom:.5em;){{{

//次の6行を使って折りたたんでください。
//#style(class=submenuheader){{
//&color(Black,gainsboro){(題名を入力してください)(クリックで表示)};
//}}
//#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
//(本文を入力してください)
//}}

}}}
【特技・計略】
#style(style=padding-bottom:.5em;){{{

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){鎌倉殿(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
鎌倉幕府の棟梁、そこから転じて鎌倉幕府そのものを指すこともある。平家物語では源頼朝を指す。
足利将軍も当初は鎌倉殿と呼ばれていたが、義満が[[室町第]]を建て「室町殿」と呼ばれるようになってからは室町殿の分家である鎌倉公方が鎌倉殿と呼ばれるようになった。
}}

//次の6行を使って折りたたんでください。
//#style(class=submenuheader){{
//&color(Black,gainsboro){(題名を入力してください)(クリックで表示)};
//}}
//#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
//(本文を入力してください)
//}}

}}}
【セリフ】
#style(style=padding-bottom:.5em;){{{

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){良い国作ろう? 馬鹿者。国はお前が作れ。代わりに私は良き箱、つまり国を治めるに足る其方の器を作ってやる(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
鎌倉幕府の成立年とされる1192年(源頼朝が征夷大将軍に任命された年)と1185年(全国の守護・地頭の任命を許可する文治の勅許が下された年)の語呂合わせより。
かつては1192年説が一般的であったが、頼朝は征夷大将軍を3年で辞任し頼朝以降の鎌倉幕府の棟梁(鎌倉殿)も常に征夷大将軍の地位にいたわけではないため、現在は全国の軍事警察面での総責任者としての地位を朝廷に認められた1185年が定説とされている。
他に頼朝が鎌倉入りし南関東の支配権を樹立した治承4年(1180年)、東国の支配権を承認する寿永二年の宣旨が下された寿永2年(1183年)、政務や財務を司る公文所及び現代の裁判所にあたる問注所を開設した元暦元年(1184年)、頼朝が右近衛府(幕府)の長官である右近衛大将に任命された建久元年(1190年)を成立年とする説もある。
}}

//次の6行を使って折りたたんでください。
//#style(class=submenuheader){{
//&color(Black,gainsboro){(題名を入力してください)(クリックで表示)};
//}}
//#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
//(本文を入力してください)
//}}

}}}
*現実の城情報 [#information]

相模国鎌倉に存在したとされる城だが、現在は城郭としての「鎌倉城」は無かったというのが通説となっている。
ここでは、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて九条兼実が書いた『玉葉』に登場する「鎌倉城」について説明していく。
12世紀末、源頼朝は鎌倉を本拠として平氏や奥州藤原氏を打倒し、その過程で武家政権としての鎌倉幕府が確立していった。
鎌倉を本拠とした理由には、北条氏や三浦氏などの頼朝を担いだ武士団の力関係が影響したことや、旧東海道が通り関東のなかでも京都方面に近い位置にあったこと、山に囲まれた地形で守りやすいことなどが挙げられる。
このうち鎌倉の守りやすさは特筆すべき要素で、鎌倉は山々がいくつもの谷を作りながら街を取り囲み、東と西では海まで達している。そしてこの山々の多くが切り立った崖になっており、街を取り囲む尾根の外側は人工的に削り取った切岸が設けられている。
自然地形を活用しつつ人工の防御施設を加え、街を取り囲む長城のような外郭線を造り上げた城構え、九条兼実が日記『玉葉』で記したような「鎌倉城」と呼べる城郭都市が鎌倉だった。
#br
#style(class=submenuheader){{{
&color(White,Maroon){続きをクリックで表示};
}}}
#style(class=submenu){{{

頼朝は鎌倉の中心地に大蔵御所を構え、その後御所の西に由比から鶴岡八幡宮を遷座させた。そして鎌倉を東西に抜ける六浦道に沿って諸施設が展開する構造とした。
幕府も大蔵御所にあったが、北条政子の死後に鶴岡八幡宮の南へと移転した。これに伴って鎌倉の都市構造は六浦道という東西に沿った横の軸から、鶴岡八幡宮の若宮大路を主軸とする縦の軸へと転換した。
鶴岡八幡宮の北側は外郭線が街の中心に最も近づいているところであり、防御上重要な地点だったといえる。
#br
鎌倉には八つの主な出入り口があり、そのうち七つは極楽寺坂・大仏坂・化粧坂・亀谷坂・巨福呂坂・朝比奈・名越切通と呼ばれる狭い通路で、外郭に設けられた門と捉えることもできる。
これらは鎌倉七口とも呼ばれ、現在は容易に通れるようになっているが、いずれも部分的に当時の切通の遺構が残っており、断崖に挟まれた通路の状況がうかがえる。
特に名越切通は保存状態が良く、単に通路があるだけでなくその左右の岸壁の上に削平地があり、陣営地となったいた。他の切通も同様の構造になっていたと考えられるが、このような切通には門が設けられており、門番が通行人を監視していた。
#br
鎌倉にはこのような七口以外にもう一つ重要な入り口、港があった。古代から中世にかけての港は船底を傷めない砂地があり、かつある程度の深さを保つ水路がある河口付近に設けられたが、鎌倉の場合も当時は滑川の河口が広がり港になっていたと考えられる。
しかし鎌倉の街が発展したことで港の機能を拡大する必要に迫られ、大規模な築堤工事が行われた。こうして浜の沖合に大量の石を積み上げて人工島である若賀江島が造られることになる。貞永元年(1232年)に造られたこの島は港を守る防波堤であり、大型船もその内側の浜で荷揚げできるようになった。
若賀江島が陸につながるあたりは山が海岸まで達し、絶壁となっている。この絶壁の上に住吉城が築かれた。住吉城は若賀江島と鎌倉港を監視することや、逗子から鎌倉への出入り口である小坪道を押さえることが目的だった。城の北端は鎌倉の外郭線にもつながり、その一翼を担っていた。
小坪道は七口には含まれない鎌倉の入り口で、住吉城はこれを取り込むように設計されている。城の中心となっている尾根は非常に険しく、これを横切ることは難しい。それは現在の城の敷地内に大小九個ものトンネルが設けられていることからもうかがえる。
また住吉城には永正7年(1510年)に伊勢宗瑞(北条早雲)が立て籠もった。『北条記』には「故城を取り立てた」とあり、改修が加えられたとされる。現在の姿はそれ以降のものと思われる。
鎌倉にはもう一つの城、杉本城が築かれた。現在杉本寺のある山を中心とした丘陵に築かれた城で、鎌倉の中心部に近いことから詰城とも考えられる。さらに細い尾根伝いに鎌倉の外郭線まで抜けることもできた。
#br
住吉城や杉本城はいずれも痩せ尾根を利用した城だが、痩せ尾根の利用は中世、特に南北朝時代に築かれた山城によく見られる。鎌倉の長大な外郭線も、痩せ尾根式の城が連続しているものと見ることもできる。
痩せ尾根式の城は両側が切り立っていて防御の必要があまりなく、最低限堀切を設けるだけでも城になる。このような天険の地形にある鎌倉は、中世の日記として知られる『玉葉』では「鎌倉城」と記されている。
#br
このような構造を持つ鎌倉城は一気に造られたものではなく、長い期間をかけて防御態勢を完成させていったと考えられる。
源頼朝の死後、北条氏が執権として幕府の政治を行う体制は百年以上続いたが、やがて各地で反幕府勢力が拡大していった。
元弘3年(1333年)、新田義貞を大将とする討幕軍が小手指河原、分倍河原の戦いで幕府軍を破り、化粧坂、巨福呂坂、稲村ヶ崎から鎌倉に攻め寄せた。稲村ヶ崎も七口に含まれない入り口で、幕府軍は海の中に逆茂木を置いて防御したが激戦の末にここも破られた。
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こうして鎌倉は陥落、元執権北条高時は自刃し鎌倉幕府が滅亡することとなった。その後の南北朝の争乱の際には北畠顕家軍が鎌倉を攻め、斯波家長らが杉本寺で自刃したとされる。京に室町幕府が開かれてからは鎌倉には鎌倉公方が置かれたように、鎌倉は江戸に幕府が開かれるまで東国の中心都市として機能していた。
一方鎌倉の城郭形態としては、尾根筋の外郭線で街を取り囲むような城はその後あまり見られない。ただ、これに近いものは根来寺([[根来城]])や[[八王子城]]など戦国時代の城にも見られる。いずれも谷にある館や街を守るものであり、そのような館と防衛線を構える城の形も鎌倉時代に発展したと考えられ、後世の城の原型であるといえる。

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|所在地|神奈川県鎌倉市|
|現存状態|切通、堀切、切岸など|
|城郭構造|都城|
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