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都之城 の変更点

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都之城(みやこのじょう)は、宮崎県都城市都島町にあった日本の城である。都城とも表記する。別名を鶴丸城。形式は山城。
天授元年/永和元年(1375年)、島津氏の支族である北郷氏(都城島津氏)第2代当主北郷義久が築城し、以後北郷氏の本城となった。
都島に築城されたために都之城と名付けられ、後に一帯の地名の由来となった。庄内十二外城と呼ばれる支城群を備え、都城盆地全体を守る構えとなっていた。
築城後の天授5年/永和5年(1379年)、宗家で従兄の島津氏久が室町幕府の九州探題今川了俊と争い、北朝から南朝方についたため、了俊の5男満範が率いる南九州の国人衆の大軍を迎え撃つこととなるが、辛くもこれを撃退している(蓑原の合戦)。
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伊集院氏が支配していた慶長4年(1599年)には庄内の乱の本拠地となった。庄内の乱後、再び北郷氏支配となるが、元和元年(1615年)、一国一城令により廃城となり、北郷氏は現在の都城市役所敷地内にあった領主館に移る。
現在の城址は城山公園として整備され、本丸跡には城郭風建築の都城歴史資料館が建てられている。
また、本丸から掘割を渡った西城跡地には、神武天皇を祭る狭野神社(西諸県郡高原町の狭野神社を分祠したものか)が建立されている。
なお、南側は日豊本線により分断されており、さらに南まで城域を有していたが、現在では住宅地となっている。
(「都之城」(2018年2月27日0時)『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E4%B9%8B%E5%9F%8E)
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|所在地|宮崎県都城市都島町|
|現存状態||
|城郭構造|山城|

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