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杷木神籠石 の変更点

*現実の城情報 [#information]

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杷木神籠石(はきこうごいし)は周囲の尾根線上に列石と土塁を廻らせて築かれた古代山城で、列石が置かれている場所はところによって高く、最高では標高245メートルほどになる。
列石は近くの筑後川右岸断崖まで渡っており、筑紫平野を一望できるほか[[高良山>高良山神籠石]]を望むことができた。他の神籠石と連絡する目的があったと考えられる。
通例として神籠石は山の名を冠すのだが、杷木神籠石をかかえる山には名がない。だが杷木町にとって重要な遺跡であることから地名を冠し杷木神籠石と名付けられた。非常に珍しい例である。
最大の特徴と言えば中央に谷を取り込んでいるところにある。第二水門は谷に溜まる水を外へ排出する場所に設けられた。石積みの幅は12メートルで谷底付近に当時の石列が確認できる。


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1967年(昭和42年)の採土工事中に発見された9番目のものとなる。杷木の地は駅がおかれ、平安時代に書かれた『延喜式』に杷伎と記されているが、読み方は同一である。
『続日本記』では観世音寺(太宰府市)に寄進された把木野が所在し、のちの把木荘と呼ばれる荘園となった場所であった。
役目を終えた杷木神籠石城址には中世のころより筑前長尾城と鵜木城が築かれた。どちらとも筑後川に近い場所に築城されている。
昭和42年(1967年)の採土工事中に発見された9番目のものとなる。杷木の地は駅がおかれ、平安時代に書かれた『延喜式』に杷伎と記されているが、読み方は同一である。
『続日本紀』では観世音寺(太宰府市)に寄進された把木野が所在し、のちの把木荘と呼ばれる荘園となった場所であった。
役目を終えた杷木神籠石城址には中世の頃より筑前長尾城と鵜木城が築かれた。どちらとも筑後川に近い場所に築城されている。

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|所在地|福岡県朝倉市杷木町|
|現存状態|列石、水門2ヵ所、土塁|
|城郭構造|古代山城(神籠石式山城)|
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