Top > 城塞都市カルタゴ・ノヴァ


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城塞都市カルタゴ・ノヴァ((ローマの呼び名で新しい[[カルタゴ>城塞都市カルタゴ]]という意味。カルタゴからは、カルト・ハダシュトと呼ばれていた。))は、カルタゴのバルカ家により建設された城塞都市で、バルカ家によるイベリア半島統治の本拠地となった都市である。
城塞都市カルタゴ・ノヴァ((ローマの呼び名で新しいカルタゴという意味。カルタゴからは、カルト・ハダシュトと呼ばれていた。))は、[[カルタゴ>城塞都市カルタゴ]]のバルカ家により建設された城塞都市で、バルカ家によるイベリア半島統治の本拠地となった都市である。
バルカ家はカルタゴの名門一族で、一族からは稀代の戦術家と名高いハンニバル・バルカも輩出しており、彼もこの町を拠点にイベリア半島を制圧し、第二次ポエニ戦争の時もこの街から出発しローマを目指した。
カルタゴ・ノヴァは、ハンニバルがイタリア半島で戦っている間にローマの大スキピオにより制圧され、以降はローマのイベリア(ヒスパニア)における主要拠点となった。
ローマ帝国時代は比較的栄えていたが、西ゴート王国時代以降は衰退し、イスラム支配期に再び町として再建された。
現在はカルタヘナと名前を変えて存続しており、街の中にはカルタゴ~ローマ時代の遺構もいくつか残っている。

|BGCOLOR(#ddd):80|300|c
|所在地|スペイン王国ムルシア州ムルシア県カルタヘナ|
|現存状態|バルカ家統治時代の城壁跡、劇場などのローマ時代の遺構|
|城郭構造|城塞都市|

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#style(class=submenuheader){{
&color(White,Maroon){カルタゴ時代の城郭構造(クリックで表示)};
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カルタゴ・ノヴァは、湾内に突き出した半島の先端に建設された。
湾の海岸線は、上から見るとR字を描くような形になっており、このRの真ん中の線が半島となっていた。
街の南側は外洋につながり、北側には大きな入り江が広がり、西には狭い水路、東には街につながる地峡部があった。
街の位置した半島先端部には5つの小高い丘があり、そのうちの二つがちょうど地峡部の入り口の左右に並び門柱のようになっていた。
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カルタゴ・ノヴァを囲む壁((この壁は現在、長さ30m程度の部分が発掘され、市の展示施設の中に展示されている。))には、ギリシャ様式の防御壁が用いられた。
この壁は高さ10m程度の二つの平行した砂岩製の城壁となっている。
この二つの壁の間がまた壁で区切られ、そこに軍の宿泊所や倉庫などの部屋が3階に分けて設けられた。
また、壁は白漆喰で塗り固められ、それにより天候による城壁の劣化を防ぐと共に、その見栄えを良くしていた。
城壁は、カルタゴ・ノヴァの5つの丘を取り込むように設置された。
その中で、西側の狭い水路に面した個所と、東側の地峡部の入り口部分には門が設けられていた。
これらの城壁は、ローマ占領後にもしばらく使用されていたが、後に放棄されて新しくローマの城壁が作られた。
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大スキピオはこの街を北側の入り江から攻略した。
3,000人が守るカルタゴ・ノヴァに対し、大スキピオは27,500の兵を引き連れ、まずはカルタゴ本土の援助を阻止するため海上封鎖をし、東門付近にキャンプを設置し拠点とした。
カルタゴ・ノヴァの民兵の練度は高く、東門のキャンプへの攻撃や、南側からの攻撃への防御により、ローマ側に大きな被害を与えた。
一方で、北側の入り江についてはカルタゴ・ノヴァ側は「渡ることは出来ない」と考え、防御を手薄にしていた。
この入り江は、条件が揃うと干上がり徒歩でも渡渉可能となるが、ちょうどその渡渉可能な条件が揃ってしまい、手薄な北側を突破されたカルタゴ・ノヴァはそのまま総崩れとなり落城した。

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