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三河川手城 の変更点

*現実の城情報 [#information]

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承久の乱で京方に属した山田重忠を祖とする山田氏が築いたとされる標高390メートル、比高60メートルの丘城(平山城)。
山田氏はこの地に移ったあと、南北朝時代には南朝方として戦ったと言い、景隆の代に川手氏を名乗ったとも言う。
景隆は岡崎三城代の一人であったが桶狭間の戦いのあと[[岡崎城]]を捨てて川手城に逃げ込み、のちに武田信玄に攻められ落城したという。
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一説にはこの景隆が[[今川館]]の今川氏真により[[井伊谷城]]下に要請された井伊谷徳政を凍結した井主(井伊主水佑)の正体であるともされる。
いずれにせよ、のちに子の川手良則は徳川家康の命で井伊直親の娘(井伊直政の異母姉)の高瀬姫を妻に迎え、直政に仕えている。
川手家は江戸時代初期に無嗣となり断絶したが、幕末の大老・井伊直弼が甥の川手良貞に川手家を再興させたという。

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|所在地|愛知県豊田市川手町シロ山|
|現存状態|曲輪、堀切、櫓台、土塁|
|城郭構造|丘城(平山城)|

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