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三河川手城
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現実の城情報 Edit

承久の乱で京方に属した山田重忠を祖とする山田氏が築いたとされる標高390メートル、比高60メートルの丘城(平山城)。
山田氏はこの地に移ったあと、南北朝時代には南朝方として戦ったと言い、景隆の代に川手氏を名乗ったとも言う。
景隆は岡崎三城代の一人であったが桶狭間の戦いのあと岡崎城を捨てて川手城に逃げ込み、のちに武田信玄に攻められ落城したという。


所在地愛知県豊田市川手町シロ山
現存状態曲輪、堀切、櫓台、土塁
城郭構造丘城(平山城)

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