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アランデル城 の変更点

*現実の城情報 [#information]
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ウィリアム1世の側近ロジャー・モンゴメリーによって1067年築城。ノーフォーク公爵フィッツアラン=ハワード家の現居城の一つ。
1000年近い歴史を持つ由緒ある城で、足元にアラン川、遠くに英仏海峡を望む高台にある。アランデルは一帯を表す「アラン川の谷」の意。
ウィリアム1世はモンゴメリーなど側近三人にそれぞれ半自治を認めた辺境領を与え、それぞれ独自にウェールズを攻めさせた。
モンゴメリーは中部戦線を担当したが、それとは別に南部沿岸防衛の任務も与えられ、そのために築かれたのがこの城である。
高台の上に大き目のモットを築いて高さを稼いでいるのが特徴的なモットアンドベイリー式の城で、後の改修によって囲郭式となった。

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モンゴメリーの死後城はヘンリー1世に接収され、死後その遺言によって二番目の王妃アデライザに譲られた。アデライザは1138年にウィリアム・ド・オービニーと再婚。ウィリアムがアランデル伯に叙され、以降歴代アランデル伯の居城となる。
城主となったウィリアムによってモット上に石造のシェルキープが造られ、その後だんだんと城壁も石造化された。
無政府時代にはアデライザの義理の娘にあたる女君主マティルダが滞在し、彼女のために滞在用の居館が作られた。
ただしウィリアム自身はスティーブン王派であり、後にはマティルダの息子であるヘンリー2世とスティーブンの和睦に尽力している。
ウィリアムの死後いったんヘンリー2世王が所有して改修を施したが、獅子心王リチャード1世が即位するとオービニー家に返還される。
13世紀にオービニー家の男系が断絶した後は娘の嫁ぎ先だったフィッツアラン家がアランデル伯となって受け継いだ。

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8代伯リチャード・フィッツアランの時、エドワード1世から年に2回城下で市を開き税を徴収する権利を認可される。これによって傷みが激しかった城を修理できただけでなく、塔や城門を強化することもできるようになった。
その曾孫にあたる11代伯リチャードは王リチャード2世と対立し処刑され、アランデル城は王の異父兄エクセター公ジョンに与えられる。
しかしエクセター公はのちに王位についたヘンリー4世を暗殺しようとしたとして処刑され、城の所有権はフィッツアラン家に戻された。
16世紀にはフィッツアラン家の男系が断絶し、最後の当主の娘メアリーとその夫4代ノーフォーク公トマス・ハワードが城を継承する((アランデル伯の称号は二人の息子のフィリップが継承))。
しかしトマスは若き女王エリザベス1世との間で君臣のすれ違い((政治面だけでなくカトリックとプロテスタントの宗教対立という一面もあった))を起こし、やがて大逆罪と認定され処刑、公爵位も剥奪されてしまう。
ハワード家はもともと[[フラムリンガム城]]を居城としていたがこの一件で没収され、アランデル城を居城とした。
ノーフォーク公爵位は90年近く経ってからようやくハワード家に返還された。なお14代公爵の代にフィッツアラン=ハワード姓に改称している。

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イングランド内戦では二度に渡って攻城戦の舞台となった。一度目は王党派に、二度目は議会派軍によって攻め落とされた。
この戦いで城は大きく損壊し、王政復古の後も1718年まで修理されなかった。第8代公爵の代から修復が始められ、11代公爵チャールズが城館を大幅に改築して現在の形とした。15代公爵の代までかかって城の修復が完了した。
第二次大戦後、財産税や相続税のために公爵家の家計が苦しくなり、領地を縮小せざるを得なくなる。
当時の16代目公爵は城をすべてナショナル・トラストに譲渡することを考えたが、後継者((16代公爵には男子がいなかったため、分家のハワード男爵が公爵を継ぐことが決まっていた))との相談の結果結局この計画は破棄、新たに独立財団を立ち上げて城を一般公開することになった。
現在もプライベートスペースを除いた大部分が公開されている。城館部分は15代公爵が20世紀に入って電気・水道設備を増設したため、現在でも十分居住の用に足る設備になっているという。

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現在の城の構造はほぼ同時期に建造され、似た経緯を辿って近年まで貴族の館であった[[ウォリック城]]とも共通点が見られる。
また、城の敷地内にあるフィッツアラン教会には14世紀末以来の歴代城主が埋葬されている。

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|所在地||
|現存状態||
|城郭構造||
|所在地|イングランド、ウエスト・サセックス、アランデル|
|現存状態|現用|
|城郭構造|囲郭式城郭|
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