鳥越城 のバックアップの現在との差分(No.1)
現実の城情報加賀一向一揆に加わった白山麓の一向宗門徒・山内衆が拠点とした城で、織田信長に最後まで抵抗し加賀一向一揆終焉の地となった城。 続きをクリックで表示 山内衆は鳥越城を拠点に織田方の柴田勝家に対抗し、天正6年(1578年)に石山本願寺の顕如が鈴木出羽守宛てに、山内衆を督励する書状を送っている。 勝家は山内衆の激しい抵抗に手を焼き、休戦の名門で鈴木出羽守を呼び出し松任城で謀殺したという。 勝家は山内衆の激しい抵抗に手を焼き、休戦の名目で鈴木出羽守を呼び出し松任城で謀殺したという。 天正8年(1580年)、勝家は鳥越城を攻略して吉原次郎兵衛を置いたが、その後も山内衆の抵抗は続き、翌年には山内衆によって奪還された。 これは佐久間盛政によって鎮圧されたものの、再び山内衆は蜂起し抵抗を続けた。 そして天正10年(1582年)3月1日、盛政は一揆勢を徹底的に鎮圧し、『石山本願寺日記』によると三百余人が礎刑に処されたといい、現在でも白山麓の各地には「かくれ谷」「子ころし谷」「泣き平」などの地名が残る。 これによって一揆勢は壊滅し、百年近くにわたって加賀を支配した加賀一向一揆は終焉を迎えた。 現在、鳥越城を拠点に織田軍を激しい戦いを繰り広げた人々の遺徳を偲ぶ「鳥越一向一揆まつり」が毎年開催されている。
コメント |
Published by (C)DMMゲームズ
最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示