駿河徳山城は南北朝時代に、当地を支配してた土岐氏(鴇氏)の山城である。 居館を堀之内(現 川根本町徳山)に置いた土岐氏は、屏風の様にそびえる無双連山(標高1083.3m)を天然の要害として、本城をここに築きました。 文和2年(1353)南朝方についた土岐氏は、この城に立て籠もり北朝方で今川氏配下の伊達景宗率いる軍勢と一週間に及ぶ激戦を繰り広げましたが落城し敗れた南朝方の土岐氏は、この地を追われ没落しました。 遺構としては山上に「殿屋敷」「陣屋平」「鍛冶屋敷」などの伝承地と堀切・土塁が残っている。 『徳山城址』説明板より引用
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