陸奥小浜城 のバックアップ差分(No.3)

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*現実の城情報 [#information]

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陸奥小浜城は陸奥国塩松地方において下克上と大勢力の間での紆余曲折を経た国人大内氏の居城であった平山城である。
現在の二本松市役所岩代支所の東に広がる丘陵全域にわたる連郭式平山城であり、丘陵の頂上に本丸があり、その四方に曲輪が配されており、要所要所に堀切などが設けられた。
この城の南には宮森城があり、有事の際には宮森城と連携して防衛を図ったとも考えられている。
この城の南には宮森城があり、小浜城は下館、宮森城は上館とも呼ばれることから、有事の際には宮森城と連携して防衛を図ったとも考えられている。
城主大内氏は長門の大内氏の一族で大内持世の子孫であると伝えられるが、当の大内氏の記録には該当する人物は無く、一方「姓氏家系大辞典」では菊池氏の流れであるとされるなど、その来歴は全く不明である。
いずれにせよ、14世紀後半には塩松地方を領有した足利一門塩松石橋氏の家宰となっていたことが名取熊野新宮社の記録で確認されており、このころには元となる城が存在した可能性が高いと見られる。
小浜城の名は「福島県史」によれば、大内氏は元々若狭国小浜に在していた、とあるため、これが理由の一端と考えられる。

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大内氏は塩松石橋氏の重臣であったが、塩松氏が伊達氏や蘆名氏、田村氏と行った周辺勢力の中で勢力を失うと、天文19(1550)年大内義綱は主君塩松尚義をその居城塩松城に幽閉、実権を奪った。
義綱は自分に従わない塩松氏家臣の討伐によって自身の権力を足固めし、ついには南方の田村氏に内通し、永禄11(1567年)に塩松尚義を追放、下克上に成功した。
その後しばらくは大内氏は田村氏に従いながら安積郡にも勢力を広げるが、義綱の子定綱の代になると、田村氏からの独立を企図し伊達氏や蘆名氏に接近、その支援の元独立に成功する。
このように大内氏は近隣の大勢力の間を泳ぎ回りながら所領を維持していたが、伊達氏で輝宗から政宗に代替わりが起こると、政宗の正室が田村氏の娘であることから大内氏の立場が微妙となった。
天正12~13(1584~85)年頃、定綱は一旦は政宗にこれまで同様の忠勤を宣言しながら、その後、情勢を鑑み蘆名氏に鞍替えを行った。
政宗はこのような振る舞いに対し激怒したと言われ、天正13(1585)年に田村氏とともに塩松地方へ出兵、小手森城において撫で切りを行うなど、瞬く間に塩松地方を制圧した。
定綱は小浜城を放棄して蘆名家を頼り逃亡、塩松地方は伊達氏の勢力下に入り、その後進められた二本松城攻撃の際には政宗自身が在城し、その拠点となった。
その後も伊達領として続いたが、奥州仕置によって一帯が蒲生氏郷の所領となると、その家臣蒲生忠右衛門が城代となり、本丸に石垣が築かれるなど改修が行われたとされている。
上杉氏、再度の蒲生氏の時代にも城代が入り、重要な支城となっていたが、寛永4(1627)年に廃城となった。
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蘆名家を頼った定綱であるが、その後蘆名氏では佐竹氏から義広が養子として入り、結果蘆名家中で宿老と佐竹氏から入った家臣団が対立するなど家中が不穏になり、外様である彼の立場はまたもや微妙なものとなった。
そんな中、天正16(1588)年2月の大崎合戦で伊達氏が敗北し、伊達氏は北方では戦力を失い、さらに南方でも小手森城主石川光昌が相馬氏に内通し、政宗の本隊は最上氏や相馬氏への備えのために身動きが取れない等、極めて危険な情勢に陥った。
翌月、この情勢を受けて蘆名勢は安達郡・安積郡の伊達領へ侵攻した(郡山合戦)ものの、二本松城主伊達成実、大森城主片倉景綱、宮森城主白石宗実の前に攻めあぐねる始末であった。
定綱をこれを見るや、成実の誘いに応じて伊達氏側に転じ、これに気づき攻め寄せた蘆名勢を伊達氏の軍勢とともに追い払った。
以降の定綱は一貫して伊達政宗に仕えその信用を得、子孫は仙台藩において一族(仙台藩における階級で一門・一家・準一家に次ぐ4番目の地位)の地位を得、大身として続いた。
彼は大勢力の間で翻弄されながらも強かに生き抜き家を長らえさせた、時代の勝者であると言ってもよいであろう。
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現在の小浜城の跡地は本丸跡に蒲生時代とされる石垣と大内氏の子孫により建てられた碑がある他、発掘調査では7棟の建築物の跡が見つかっている。
また、堀切の一部が道路や倉庫の建設地として利用されている。
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|所在地|福島県二本松市小浜字下館|
|現存状態|石垣、堀切|
|城郭構造|連郭式平山城|
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