銀杏城は熊本城の別名だが、これは築城主の加藤清正が城内に多数の銀杏の木を植えたことが由来であり、この銀杏は籠城戦となった際の兵糧として確保されているものであった。 天守前の銀杏は、西南戦争直前に天守・本丸御殿とともに焼失しているが、燃えた跡から新しい芽が出て成長し、現在に至る。 清正は死の直前にこの銀杏を指して、「天守と同じくらいの高さになったとき、変事が起こる」と西南戦争を予言したともいう。 また、清正は第一次蔚山倭城の戦いで兵糧の備えが不十分で苦戦した経験があるためか、城内には120ほどの井戸を掘り、土壁や畳の床に里芋の茎を編み込んで、壁には干瓢を塗り込んで食べられるようにし、いざというときのために備えていたとされる。
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