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蔚山倭城
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現実の城情報 Edit

慶長2年(1597年)11月中旬、慶長の役に際して日本軍(豊臣軍)が朝鮮半島に築いた城。
加藤清正が縄張りを担当し、毛利秀元・浅野幸長らにより普請工事が始まり、40日ほどで完成目前となった。
しかし、同年12月22日に明・朝鮮連合軍に包囲されると、未完成のまま籠城戦を強いられた。
西生浦で報告を受けた清正は急ぎ帰還し奮戦したが、兵糧の備えも不十分だったため落城寸前となった。
そこに同じく蔚山から離れていた秀元や、黒田長政らの率いる援軍が到着すると、形勢は逆転し日本軍の勝利となった。


所在地蔚山広域市, 大韓民国
現存状態石垣、天守台、虎口、登り石垣
城郭構造平山城

コメント Edit

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示

  • 名護屋城はともかくこのお城は無理と思う。へうげものぐらいじゃない?最近で慶長の役とかまともに書いてるの -- 2017-05-03 (水) 23:28:57
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