逆井城 のバックアップ差分(No.1)

  • 追加された行はこの色です。
  • 削除された行はこの色です。
*現実の城情報 [#information]

//編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです)

逆井城(さかさいじょう)、はじめの逆井氏の城を逆井古城、後北条時代の城を飯沼城ともいう。

築城は享徳年間ごろといわれる。小山義政の五男・常宗がこの地を領して逆井氏を名乗り、この城を居城にした。
しかし常宗の孫・常繁のときの天文5年(1536年)、古河公方方であった逆井氏は後北条氏と対立した。
そのため後北条方の大道寺盛昌の攻撃を受け逆井古城は落城、逆井氏は滅亡した。

後北条氏の勢力下に入った逆井城は、天正5年(1577年)、玉縄城主北条氏繁によって藤沢から技術者が呼ばれ、新たに築城されることとなった。
逆井の地は北条氏にとって下野・常陸方面への侵攻の最前線であったためである。
後北条氏の最新の技術が投入された飯沼城には氏繁が入り、佐竹氏・多賀谷氏などと対峙した。

風魔小太郎の子・風魔孫右衛門など忍者集団300人が拠っていたともいわれている・・・。

|BGCOLOR(#ddd):80|300|c
|所在地|茨城県坂東市逆井|
|現存状態||
|城郭構造|平城|
*コメント [#comment]
#pcomment(,reply,10,)



ホーム リロード   新規 下位ページ作成 コピー 編集 添付 一覧 最終更新 差分 バックアップ 検索   凍結 名前変更     最終更新のRSS