松倉城・増山城と並ぶ越中三大山城の一つ。 南北朝期に桃井氏によって築かれ、のちに越中守護斯波義将の居城となる。 戦国時代には神保氏張の居城となるが、天正4年に上杉謙信に攻められ落城をする。 天正6年の謙信の没後、越中を制圧した佐々成政に従い守山城主に返り咲く。 天正13年、佐々成政が豊臣秀吉に降伏すると守山城は前田利家の嫡男利長の居城となり、慶長2年に利長が居城を富山城へと移すと、その後は前田長種が城代となるが程なく廃城となった。
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