鎌倉時代に入部した矢部氏によって築かれ、戦国時代には境目の城として尼子・毛利・織田氏などが攻防戦を繰り広げた。 鳥取城が落城した天正9年(1581年)には木下重堅が入り、豊臣政権下で若桜鬼ヶ城は総石垣の城へと改修され、因幡国随一の規模を誇る縄張となる。 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後には山崎家盛が入り、元和3年(1617年)に池田光政が因幡・伯耆両国の領主となると、一国一城令によって廃城となった。 廃城となった際に壊された石垣は当時の状態が現存しており、一国一城令による破城の実例としての価値が認められる。 また主郭部は織豊系城郭の山城として規模・構造の複雑さが注目され、さらに山陰の国人領主と戦国大名の動向や、中世から近世初期にかけての城郭の変遷を知る上でも重要な城であり、平成20年(2008年)に国指定史跡となった。
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