応仁元年、平安京の四神相応で北の玄武にあたる船岡山に山名教之、一色義直らによって築かれた城。 現在の京都御所の北に布陣した細川勝元の陣に対して、西に位置したことから山名宗全の陣として西陣とも呼ばれ、応仁の乱の西軍、東軍の由来となった。 同2年9月7日に東軍の攻撃を受けて落城すると廃城になったとみられるが、永正8年(1511年)には足利義稙方の細川高国・大内義興と足利義澄方の細川澄元との間で戦闘があり、船岡山合戦と呼ばれている。 明治8年には織田信長を祀る建勲神社が建てられ、現在は船岡山公園として整備されている。
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