Top > 船岡山城

船岡山城
HTML ConvertTime 0.063 sec.

現実の城情報 Edit

船岡山城(ふなおかやまじょう)は応仁元年(1467年)、平安京の四神相応で北の玄武にあたる船岡山に山名教之、一色義直らによって築かれた城。
現在の京都御所の北に布陣した細川勝元の陣に対して、西に位置したことから山名宗全の陣として西陣とも呼ばれ、応仁の乱の西軍、東軍の由来となった。
なお応仁の乱は戦乱の多くが文明年間(1469年~1486年)に起きたことから、応仁・文明の乱とも呼ばれる。
船岡山城は応仁2年(1468年)9月7日に東軍の攻撃を受けて落城すると廃城になったとみられるが、永正8年(1511年)には足利義稙方の細川高国・大内義興と足利義澄方の細川澄元との間で戦闘があり、船岡山合戦と呼ばれている。
明治8年(1875年)には織田信長を祀る建勲神社が建てられ、現在は船岡山公園として整備されている。

所在地京都府京都市北区
現存状態土塁、横堀
城郭構造山城

コメント Edit

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示

  • 今や史上空前のブームを巻き越している応仁の乱。最近立て続けに更新される関連諸城の紹介、ブームに一役買ってるね。 -- 2017-05-29 (月) 01:59:34
  • 読みはともかく、下の表にもある住所をわざわざ追記することはないだろう。 -- 2017-05-29 (月) 02:14:19
  • 応仁の乱を代表する城ですのう -- 2017-06-23 (金) 01:16:36
お名前:

  URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White


ホーム リロード   新規 下位ページ作成 コピー 編集 添付 一覧 最終更新 差分 バックアップ 検索   凍結 名前変更     最終更新のRSS