玄蕃尾城 のバックアップ(No.6)
現実の城情報は滋賀県と福井県の県境に位置する余呉北方の山々のうち、最も北方に位置する中尾山(柳ヶ瀬山)に築かれ、天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いで、柴田勝家が本陣として用いた陣城。 続きをクリックで表示 天正10年(1582年)の清州会議において領国に新城の築城を禁止することが取り決められたが、翌年に羽柴秀吉は山城で山崎・八幡に城を築いたため、柴田勝家はこれを誓約違反であるとして秀吉と激しく対立した。この秀吉の築城に対抗して築かれたのが玄蕃尾城とされる。 秀吉方はこの東野山~堂木山のラインに枡形や馬出を設ける発達した陣城を築き、第一次防御線とした。 さらに賤ヶ岳の戦いが長期戦の様相を見せると、勝家はさらに広範囲にわたる陣城の構築を開始した。丹生方面からの攻撃に備えて多くの砦が築かれ、塩津街道、今市以北の北国街道は完全に勝家軍によって固められた。
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