本作では殿も戦う。 殿のレベルが上がると、霊力上限が増えステータスが上がる他、設備のレベル上限も上がる。 現在の経験値状態は所領画面などで左上のレベル付近をクリックすると表示される。 また、殿ステータスについては、合戦中の殿をクリックすることで表示される。
特技:最重要攻撃目標(敵が足を止め、攻撃を続ける。) 計略:無し 巨大化:不可能
設備の本陣レベルを上げると、殿の耐久が上昇する。
殿レベルが上昇すると、耐久を含めた能力値が増加していく。 下表の数値は、本陣レベルによる耐久上昇や、無属性補正による耐久攻撃防御1.15倍の入っていない数値。
殿レベル関連アップデート履歴 2016/04/01 天守レベル上限解放の到達殿レベルを緩和 2016年9月27日のメンテナンスにより、下記の仕様変更がなされた。
・殿Lvの上限を150まで解放 ※Lv101以降は1Lv毎に霊珠1個プレゼント ※Lv103以降は3Lv毎に霊力上限を+1 ・殿Lv100まで5Lv毎に城娘所持枠+1の報酬を追加 ・天守の最大Lvを19まで追加 ・殿Lvによる天守拡張条件を撤廃(設備で拡張)
2017/04/25 殿Lvの上限を200まで解放 2017/12/26 殿Lvの上限を250まで解放 2018/08/28 殿Lvの上限を275まで解放 2018/12/25 殿Lvの上限を300まで解放 2019/04/16 殿Lvの上限を350まで解放 2019/09/10 築城、開発、本陣レベルの最大値を11に変更 2019/12/24 殿Lvの上限を375まで解放 2020/03/24 殿Lvの上限を400まで解放 2021/03/16 殿Lvの上限を460まで解放 2021/12/14 殿Lvの上限を500まで解放 2022/03/22 殿Lvの上限を600まで解放 2022/09/27 殿Lvの上限を650まで解放 2023/03/20 殿ランクの上限を700に開放
2022年4月5日に実装の機能。 ユカリ珠交換所や期間限定ログインボーナス、イベントで入手できる『抜刀珠』を合戦中の任意のタイミングで使用することで殿がダメージを受けず、敵を一撃で倒す状態にすることができる状態になり、合戦をクリアできる。 なお、『抜刀珠』は使用した時点で消費が確定し、再戦や撤退しても戻らない。 抜刀状態では物理・術問わずダメージを受け付けず、状態異常やデバフも無効化し、文字通り無敵状態となる。この状態で攻撃を受けても「殿が1回も攻撃を受けない」の戦功は取れる。(戦功に関しては下記項目も参照) 殿が無敵状態になる為、城娘の大破を避けつつ蔵を守り切れば委任解放を行うことができるようになる。 但し、武神降臨や地獄などの高難易度のマップでは使用できない。
■抜刀珠について 「殿抜刀」を行う為に必要なアイテムとなります。 抜刀珠はイベントやキャンペーンなどで入手可能です。 「殿抜刀」1回につき『抜刀珠』1個の消費が必要となります。
■抜刀珠を使用できるマップについて 「抜刀珠」は「普通」「難しい」両方の難易度で使用可能です。 高難易度マップや一部の天下統一マップなどでは使用できません。 使用可能なマップの詳細は以下となります。
多くの合戦にあるこの戦功だが、実際には攻撃ではなくダメージを受けたかが基準になっている。 以下の方法により、攻撃を受けても戦功が取れることが確認されている。
なお、障壁系計略で防いでも0ダメージとは扱われないらしく、戦功は失われる。(サンタンジェロ城計略など)
モデルとなる人物は「立花宗茂」であると思われる。 冒頭の関ヶ原の戦いに間に合わなかった武将であり、物語のスタート地点となる九州地方の出身であり、 またメインストーリー上でも重要な役どころを担う「立花山城(立花道雪・宗茂の居城)*1」「柳川城(筑後移封後の居城)」いずれにも縁があり、どちらも九州の城である。
立花宗茂 立花宗茂は、岩屋城主・高橋紹運の子として生まれ、立花山城主・戸次鑑連(俗に立花道雪)の婿養子となり、二人の義に篤い名将の薫陶を受け、宗茂自身も忠義を尽くして大友氏を支えた。 大友宗麟の推薦とも言うが、大友氏から離れて秀吉の直臣となると柳川城を与えられ、朝鮮出兵でも活躍した。 その後、大津城攻めのために関ヶ原本戦には間に合わず西軍として敗れるも柳川藩主として復帰し、関ヶ原敗戦後に改易されたのち旧領に復帰した唯一の大名となった。 ゲーム内で度々殿と関わる加藤清正との縁は深く、朝鮮出兵での蔚山城の戦いでは城を包囲された清正を宗茂が救援し、清正から「日本軍第一の勇将」と賞賛された逸話があり、また関ヶ原の戦いでは柳川城に籠城した宗茂は清正の説得で開城し、戦後改易され浪人となった宗茂は清正に食客として迎えられている。
余談だが、道雪の一人娘にして宗茂の義姉に当たり、後に宗茂の妻になる存在に立花誾千代という女性がいる。 非常に気性が激しく、女武者として戦場に立つのみならず関ケ原の頃まで立花山城の総督として君臨したという。 城娘としての立花山城・柳川城、特に立花山城の殿への激しい執着には誾千代の気風があるのかもしれない。
立花宗茂の関連城娘(クリックで表示)
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