南北朝時代の14世紀中頃、越後守護となった宇都宮氏綱の家臣、芳賀禅可が築いたと伝えられている。 室町時代には古志長尾氏が支配し、坂戸城を本拠とした上田長尾氏や、高城を本拠とした下田長尾氏に対抗した。 天文12年(1543年)8月、14歳の長尾景虎(上杉謙信)が栃尾城に入城し、ここを拠点に中越地方を平定した。 景虎は天文17年(1548年)に春日山城に入り、兄晴景に代わって越後守護代長尾氏を継いで名実ともに越後の国主となり、栃尾城はまさに景虎旗揚げの城だったといえる。 上杉謙信の死後に起こった御館の乱の時、栃尾城は景勝方によって落城し、景勝は上田衆を在番させた。 景勝が会津に転封した後は、代わって越後に入った堀秀治が支配したが、堀家改易によって廃城となった。 鶴が舞うような形をしているため、福岡城や柳川城、飫肥城などと同じく「舞鶴城」とも呼ばれる。
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