栃尾城 のバックアップ(No.1)
現実の城情報【城郭構造】 栃尾城は鶴城山の山頂部に本丸を構え、北側に松の丸・五島丸、南側に二の丸、二の丸の西側に中の丸・琵琶丸・馬繋丸・狼煙台など、主要な曲輪をL字型に配置している。 本丸は弓なり状の細長い曲輪で、東側と西側は垂直に削り出した大切岸としている。特に東側の切岸は高さ約50メートルもあり壮観。 このような栃尾城の縄張は東西約850メートル、南北約450メートルにもおよんでおり、新潟県内では有数の大規模城郭となっている。 栃尾城は南北朝時代の14世紀中頃、越後守護となった宇都宮氏綱の家臣、芳賀禅可が築いたと伝えられている。 天文12年(1543年)8月、14歳の長尾景虎(上杉謙信)が中越地方の平定と古志長尾氏継承のため栃尾城に入城した。この時、栃尾城には本庄実乃が在城していた。 天正6年(1578年)、上杉謙信の養子である上杉景勝と上杉景虎との間で起こった御館の乱の時、栃尾城には本庄実乃の子と思われる本庄秀綱が居城していた。 景勝は栃尾城の攻略後、安部弐介らの上田衆を在番させ城の守りを固めている。文禄3年(1594年)の段階では清水内蔵助が城将だった。
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