松尾城 のバックアップの現在との差分(No.5)
現実の城情報四稜郭のキャラクリック台詞で言及される城。 甲斐源氏の加賀美氏の流れをくむ名族で、弓馬・礼法の流派として名高い小笠原流でも知られる小笠原氏の嫡流、信濃小笠原氏のうち松尾小笠原氏が居城とした。 信濃の南部に位置する伊那郡伊賀良荘に築かれ、天竜川が形成した段丘の突端に立地している。段丘の先端に主郭が置かれ、その背後に延びる尾根は横堀と竪堀が組み合わさった大小三条の堀が設けられた。 南側の尾根には腰曲輪が置かれ、台地側にあたる北側は巨大な空堀が横堀・竪堀となって西側へとつながり、二の郭と隔てられた。 二の郭は広大な曲輪で、南側が高くなっており段差によって複数の曲輪に分けられる。二の郭の西側には三の郭が置かれ、この範囲が松尾小笠原氏時代の城域であったと思われる。 松尾城の南には毛賀沢川が流れ、この川を挟んだ対岸には同族の鈴岡小笠原氏が居城とした鈴岡城があり、現在は遊歩道でつながっている。 続きをクリックで表示 小笠原氏は鎌倉時代に甲斐から信濃へと本拠を移し、元弘4年・建武元年(1334年)に信濃守護となった小笠原貞宗が守護所として松本平に井川館を築いた。 こうして三家に分裂した小笠原氏のうち、父を殺された鈴岡小笠原氏の政秀は府中小笠原の長朝と激しく対立し、一時は長朝を府中から追放したがのちに和睦し鈴岡に戻った。 天文14年(1545年)、長棟の子の長時は上伊那の福与城を巡って信玄と対立し、天文17年(1548年)には信玄に敗れた。
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