戦国時代の土佐に割拠した「土佐七雄」の中でも最大勢力を誇った本山茂宗の居城で、高知県では最大級の中世城郭。 本山城を本拠に土佐北部の山間部に勢力を有していた本山氏は、本山茂宗の代に最盛期を迎え土佐中央部へと進出した。 朝倉城は茂宗によって大永年間(1521~1527年)頃に築かれ、標高103メートルの山上からは東に平野部を見下ろすことができ、土佐統一を目指した茂宗の意志が感じられる。 山頂部の詰ノ段(本丸)を中心に二ノ段、三ノ段と曲輪群が階段状に配置され、腰曲輪や堀切、竪堀を設けて防御し、さらにこれらを長大な二重の横堀が囲い込んでいた。 茂宗の死後、その子茂辰が城主となり長宗我部氏と土佐の覇権を巡って争うが、永禄5年(1562年)に朝倉城を攻撃され撃退はしたものの被害は大きく、翌年に朝倉城を放棄して本山城に退き、朝倉城は廃城となった。
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