望月城 のバックアップの現在との差分(No.3)
現実の城情報中先代の乱(1335年)により天神城が落城したのち、謡曲『望月』では「信濃の国に隠れもなき大名」と評される豪族・望月氏が新たに築城したといわれる山城。 続きをクリックで表示 中井均編『近江の山城ベスト50を歩く』によれば、望月城から谷を挟んですぐ南には望月支城があるが、本城に対する支城ではなく、同じ一族の独立した城と考えられている。 また、望月城・望月支城は、典型的な方形城館であるとされ、望月城に関して特筆すべきは日本有数の分厚い土塁であるとしている。 さらに、永禄11年(1568年)に信長の侵攻を受けた六角承禎(義賢)・義治父子が望月吉棟を頼り、「(巻き返しをはかる日には)必ず当屋敷に入城するので、相変わらぬ助力を頼む」といった書状を残しているという。 「当屋敷」が望月城のことを指していたのかは定かではないが、いずれにせよ六角氏は伊賀へ逃れる途中、望月氏と連絡を取るためにこの地に留まったものとしている。 余談だが、望月城主・望月盛時は第4次川中島の戦いにて討ち死にしているが、その後、妻である望月千代女は信玄にくノ一としての腕を買われたとされることがある。 その説によれば、千代女は甲斐信濃二国巫女頭領に任じられ、孤児となった少女たちを集めて歩き巫女と呼ばれる忍の養成を行うために甲斐信濃巫女道の修練道場を開いたとされている。
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