慶応二年 ( 1866年 ) 八月一日、小倉藩と長州藩との戦いで、 小倉城、篠崎邸ともに焼け、小倉藩主・小笠原豊千代 ( 忠忱 ) 、 篠崎候・小笠原近江守貞正ともに田川郡香春に逃れ、 貞正は同年10月1日、領内当郡に来て安雲 ( 築上郡上毛町 ) の光林寺に入った。 かつて多くの古墳があり、千束原と呼ばれたこの地に居館を構えることになり、 古墳の石材で石垣を築き、明治3年 ( 1870年 ) に完成し、旭城と名付けた。 明治4年に廃藩置県となり、築城間もない旭城は廃城となった。
完成して1年も経たずに廃城と、その城の命の短いことでも全国に例がなく、 全国で最後に築かれた城としても有名である。
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