宮崎県児湯郡木城町。 日向国中央東部に位置するこの地に、この城は存在していた。 新納院・高城。 宮崎県中央東部、北と南を谷瀬戸川(現・切原川)、高城川(現・小丸川)に挟まれた岩戸原の標高60メートルほどの台地にある山城で、北・東・南側は断崖絶壁を擁し、西側だけは平地とはなっているものの実に7つもの空掘を設けてあった。 城の構造は本丸と二の丸。 薩摩国守護大名・島津義久の弟・家久。 家久はこの城に入って大友軍の攻撃を受けたが激しく抵抗し、大友軍と島津軍の決戦によって大友軍が敗走すると、この城から出撃して大友軍に襲い掛かり、大友軍は大敗するに至った。 天正6年(1578年)のことである。 豊臣秀吉の九州征伐では山田有信が豊臣秀長軍およそ8万の包囲に持ち堪えた。 天正15年(1587年)のことである。
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