Top > 新納院・高城

新納院・高城
HTML ConvertTime 0.063 sec.

現実の城情報 Edit

宮崎県児湯郡木城町。
日向国中央東部に位置するこの地に、この城は存在していた。
新納院・高城。
宮崎県中央東部、北と南を谷瀬戸川(現・切原川)、高城川(現・小丸川)に挟まれた岩戸原の標高60メートルほどの台地にある山城で、北・東・南側は断崖絶壁を擁し、西側だけは平地とはなっているものの実に7つもの空掘を設けてあった。
城の構造は本丸と二の丸。
薩摩国守護大名・島津義久の弟・家久。
家久はこの城に入って大友軍の攻撃を受けたが激しく抵抗し、大友軍と島津軍の決戦によって大友軍が敗走すると、この城から出撃して大友軍に襲い掛かり、大友軍は大敗するに至った。
天正6年(1578年)のことである。
豊臣秀吉の九州征伐では山田有信が豊臣秀長軍およそ8万の包囲に持ち堪えた。
天正15年(1587年)のことである。

所在地宮崎県児湯郡木城町
現存状態曲輪、土塁、横堀、竪堀、堀切、井戸
城郭構造山城

コメント Edit

コメントはありません。 Comments/新納院・高城? 

お名前:

  URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White


ホーム リロード   新規 下位ページ作成 コピー 編集 添付 一覧 最終更新 差分 バックアップ 検索   凍結 名前変更     最終更新のRSS