御坂城 のバックアップの現在との差分(No.1)
現実の城情報標高約1570メートル、比高約630メートルもの高所に築かれた城で、甲斐・駿河・相模を結ぶ鎌倉往還の要衝である御坂峠を押さえる。 相模から甲斐に侵攻した後北条氏は郡内を制圧し、御坂城を前線の城として修築し、北条氏忠が入った。一方徳川氏は駿河から中道を経て甲府に入り、上野から信濃に侵入し南進してきた北条氏直に対抗するため高島城を攻めたものの、氏直の大軍に押され新府城まで撤退した。 相模から甲斐に侵攻した後北条氏は郡内を制圧し、御坂城を前線の城として修築し、北条氏忠が入った。一方徳川氏は駿河から中道を経て甲府に入り、上野から信濃に侵入し南進してきた北条氏直に対抗するため高島城を攻めたものの、氏直の大軍に押され新府城まで撤退した。 氏直は若神子城に入って本陣とし、家康は甲府から新府城に本陣を移して対峙した。氏忠は家康の背後を突くため御坂城から出撃したが、甲府を守備していた徳川軍に黒駒で敗れ撤退した。 黒駒合戦の後、後北条氏・徳川氏双方に大きな動きは無く、二ヶ月半ほどの対陣の末に和睦し、甲斐は徳川氏の領国となった。その後重要性を失った御坂城は廃城になったとされる。 続きをクリックで表示 御坂城は城域の大部分を御坂峠が占めており、御坂山と黒岳をつなぐ山の稜線の最も低い所に鎌倉往還が通り、そこに置かれた主郭部を中心として両側に土塁と横堀が設けられ、長大な防御線がしかれている。
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